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2005/08/28

ゴミ屋敷を包囲せよ~8

 暑さも盛りを過ぎたというのに、このところなんだか気分がすぐれない。
 昨夜の夕食のウインナーが賞味期限切れだったせいではなく、4割引きだったので買い置きのつもりで大量購入したアイスを一晩で喰い尽くしてしまったせいでもなく、バスの降車ボタンを押して腕がつるほどの運動不足のせいでもなく、妙なバトンで半強制的に己のフェチを告白させられたせいでもない。
 少しの間、他の話題で気を紛らせていたが、すべては「ゴミ屋敷」叔父のせいである。


 先月の送金の後しばらく大人しくしていた叔父が、また月末が近づいて電話をかけてくるようになった。毎月20日を過ぎてクレジット会社の引き落としの日が近くなると、真夜中のワンギリ電話や無言電話が頻発する。まるでウチが素性の怪しい金融会社からの取り立てにあっているかのようだが、犯人は「ゴミ屋敷」叔父。

 前回の電話で、叔父が
「○月○日(半年も前のこと)に君から言われた○○○という言葉でボクはショックを受けて、その日は眠れなくて大変だった」
 と言うのを聞いて、私は「いよいよ来たな~」と思った。
 「○○○」の内容が何だったかもう忘れてしまったが、おそらく「銀行の通帳を毎月ちゃんと記帳せよ」ということを、多少威圧的に言ったのだと思う。
 こんなふうな何気ない言葉尻や態度を、叔父はものすごく良く記憶する。もちろん会話内容はあっさり忘れるのだが、「脅された」という部分だけをずっと覚えていて、こんな病弱な自分がいかに酷い扱いを受けたかと主張する素材として何度も持ち出す。
 ダンナ母や妹たちは30年以上前に放ったたった一言で、今でも人非人扱いされている。
 この人と話していてイライラしない人は居ないと思うのだが、ウダウダ話法で相手を充分にイラつかせておいて、それを思わず態度に出した瞬間に、一気に悪者におとしめる。なかなか周到な手法だ。
 ああ、私もとうとうダンナ母たちのような立場になるんだなあと思うと、心底ウンザリした。
  
 そんなわけで、ますます電話には警戒するようになってしまったが、あきらめて受話器を取っても無言のまま切られることが多い。
 先週の中頃、午前3時にワンギリがあって「あ、そろそろだな」と思っていたら、案の定、翌日もさらにワンギリと無言電話が重なり、2日後の夕方にようやく留守録にメッセージが入った。

 無言電話をかける人の気持ちというのは、なんとなくわからないでもない。
 告白すれば、私だって他人にイタズラ電話をしたことはある。こちらは相手を知っているのに、相手はこちらの正体がわからずにうろたえて警戒する、その様子に奇妙な快感を覚えた。
 友達と二人で暮らしいた時こんな陰気な遊びに興じたことがあり、一人暮らしになってから、死ぬほどヒマな時に思い出して一度やってみたが、ものすごい背徳感で自分がダメになっていく気がしてやめた。「小人閉居して不善を為す」とはまさしくこのことだ。
 しかし、気のすすまない相手に電話するときや、気の重い用件を伝える時に、呼び出し音を聞きながら怯んでワンギリしてしまったりすることは今でも時々はあるし、意を決してかけた相手の第一声が不機嫌っぽかったりしたら、思わずそのまま切ってしまいたくなる時もある。 
 だから、ましてや人慣れしない叔父が、それも金の無心のために、最初の一言に迷って無言電話を繰り返してしまう状況は理解できる。というか、理解してやりたいと思って努力はしている。でも、こう何度も繰り返されると悪意しか感じなくなってしまうし、上述の「小人閉居して・・・」の言葉が頭のなかでグルグルと回る。

 閉居した小人の留守録メッセージから一日経った昨日、ダンナがようやく電話をした。
 最近は面倒がってダンナまで留守録を聞いても放置するようになった。しかも、散々放置した後で電話する時でも、長電話にならないように、わざと職場から携帯を使ってかける。
 だから電話内容の詳細はわからないが、結局今月も送金。またさらなる増額を要求されたが、さすがにこれ以上は不可能なので、先月と同額を送った。
「ローンの返済だけでなく、どうやら日常の生活費そのものがものすごい額になっているみたい」
 と、ダンナ。
「そりゃそうでしょ。お金が天から降ってくるんだから」
 と、感情のない笑顔で、私。

 労働で金銭を得るという経験のない叔父は、ダンナから送られてくる金の由来に思い至ることはない。叔父への送金額がダンナの給料の7割にあたる額だということも、だからこれ以上の増額は無理だということも、どんなに説明しても叔父にはその意味が理解できない。
 口では「悪いと思っている」と繰り返すが、「だったら切りつめた生活してよ」と言っても、「なんだかんだでお金がかかる」と言うばかり。
 体が弱いので、買い物も普通の人のように安いものを探して歩き回ることができず、結局高いものでも仕方なく買ってしまうのだという。それが本当に必要なものかどうかは別の話なのだが、もはやそんな判断力を叔父に求めるのは無理。重篤な買い物依存症であることは明らかだ。
 祖母の介護で外出できずにいた頃に通販でいろいろと買っていたことは、まあ言い訳として筋が通らないこともなかったが、先月いつのまにかプラズマテレビを買っていたことが発覚し、「腸が煮えくり返る」という感覚を久しぶりに体感した。

 それにしても、設置のために電気屋さんが家に入ったのでは?少しは掃除したのだろうか?それとも自分で設置したのか?
 私たちの知らない間に、ゴミ屋敷がえらいゴージャスに変貌してたりして・・・ふと、エマニュエル婦人の籐椅子で足を組んで、両側から美女にデカイ葉っぱかなんかで扇がれてる叔父の姿を想像。
 いや~~っっっ!!!!
  しかし、それよりも、私のゴージャスイメージってこんなんかい!なんだか貧弱すぎ。
  もっと他にないか?
  ・・・・・・・・・ウォーター・ベッド? しかも円形?


 ところで、先週の無料法律相談日、結局ダンナは行かなかったらしいが、そのかわり福祉協議会というところの融資制度で、住んでいる家を担保に生涯生活費を借りられるという情報をどこからか仕入れてきた。
 身よりのない独居老人のための制度で、施設に入るお金もなく、環境を変えることも出来ない人に適用される最終手段らしい。死ぬまで融資してくれるが、死亡後は担保にした家と土地を国庫に渡す。
 融資を受けるためには、担保となる物件の査定をすることになる。査定のために当然その担当者が敷地内に入るわけだが、まず、そんなことを叔父が受け入れるとは思えない。自分の生活に他人が口出ししたり介入したりするのが何よりイヤな叔父である。電気屋の配達員は入れても、査定人は絶対ムリだ。
 それに、もし奇跡的に叔父がその融資を受けることを決意したとしても、普通の建て売り住宅で築およそ20年の家にどれくらいの価値がつくものか?どんなに多く見積もっても、今のダンナの送金額を越える融資額にはならないだろう。結局また金が足りないと言ってダンナに泣きついてくることは目に見えている。
 ダンナは、とにかくその手続きを済ませた後は何を言われても無視すると言っているが、無視するだけの精神力をダンナが身につけなければ、また嫌がらせまがいのしつこい要請に疲れ果てて、結局送金してしまうことになりかねない。
 私にとっては、叔父よりもむしろダンナの脆弱な精神力のほうがはるかな難問であることに、あらためて気付かされる。
 やっぱ、別れるかなぁ(ボソリ・・)。


 福祉協議会の融資制度についてダンナが叔父にどの程度話したのかわからないが、昨日の電話で叔父は「あと二ヶ月だけ送金してくれれば、あとは自分でなんとかする」と言ったらしい。
 似たようなセリフを何度も聞いた気がするが、先月の送金時にダンナが2時間以上かけて懇々と説教した後だし、その間しばらく電話来なかったし、叔父なりに何か考えたのかもしれない。
 が、いったい何をどうするつもりなのか?
 確実に200万以上は借金が残っているはず。他に財源も収入もないわけだから、家を売る決意をしない限り返済は無理だろうが、もちろんそんな決意をした様子はないし、「あと二ヶ月」という根拠が何なのか、さっぱりわからない。
 ダンナは何度も「本当にあと二ヶ月なんだね?その後は何も送らなくて良いんだね?」と念を押したらしいが、その会話を録音しておくべきだったのでは?と後悔している。

 「ゴミ屋敷を包囲せよ~6」(8月16日)にも書いたが、自分に生活能力がないことを自覚せず、ダンナからの送金はあくまで「借りているもの」で「いつかは返す」ものだから「金の使い道を詮索するな」と主張する叔父に、私は、それならばいっそのこと借用書を書いてもらえば良いのではないかと提案した。
 私たちは、現実的に叔父に返済能力がないことを見越しているから、送金した額はもう返らないと半ばあきらめているし、そこまで投資した者の権利として彼の生活について心配したり口出ししたりするわけだが、叔父はそれがイヤだと言うのだし、自分はちゃんとした人間で返済能力もあると主張したいのであれば、金を借りる時には借用書を書くべきだ。

 借用書によって叔父を縛り付けることよりも、今までのダンナからの送金総額を書面に記すことで、叔父はその金額の莫大さをあらためて思い知ることになるだろうし、ヒト様から金を借りるというのはこういうことだと厳粛に自覚すれば、カードキャッシングも自粛するのでは?というのが、私のねらい。
 でも、その額面を見て「わぁ、すごい大金だー!」と、叔父が普通のサラリーマンと同じ価値基準で感じることができるかどうかはあやしい。

 なんだか何もかもが不毛に思えてやる気を無くすばかりだが、私はせめてダンナの叔父への送金の事実を誰か第三者に知っておいてほしいと思う。
 知ってもらったとしても「偉いね~、気の毒だね~」と言われて終わるだけだろうが、他人に知らしめることで、己のバカさ加減をダンナに自覚してもらいたいし、叔父に送った残りの金額で我が家が生活していけるのは、この私の、並々ならぬ努力と稼ぎと貯金があるからだということも、もっと認識してもらいたい。

 私がぶち切れて家を出ていったとしても、この経緯を知っている誰かがいれば、その人は私の切なさを理解してくれるに違いない。

 なんだか考えがまとまらず、書きたいことがうまく書けないが、とりあえず今回はここまで。


 



 




 

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2005/08/22

胸きゅん・・・愛と裏切りを知った日

 前回の記事にコメント頂いたかぐらんさんの「ひたむきだった昔の自分自身」を思い出して胸がきゅんっとするという話をきっかけに、私もいろいろと過去の自分を振り返ってみた。

 「ゴミ屋敷」問題も膠着状態だし、すっかりささくれだった我が心を癒すためにも、昔の「胸きゅん」話をいくつか書いてみることにする。
 胸きゅん感度が高い私なので、過去の胸きゅん場面は枚挙にいとまがないが、まず幼き日々の私自身に対しての胸きゅん(というより、もしかすると私の妙な偏愛趣味を暗示する出来事なのかも?)を、記憶がまだ残っているうちに記しておきたい。


 さて、このブログを読んでくださる数少ないみなさんは、「カーテンバサミ」というものをご存じだろうか?

 まだ今のようなアルミ製のカーテンレールが無かった時代、一般家庭の多くではカーテンを洗濯バサミのようなもので挟み、窓の上にピンと張ったバネ付きワイヤーに吊していた。
 その洗濯バサミみたいなものが「カーテンバサミ」(正式名称は別にあるのかもしれないが、とりあえずこう呼んでいる)。洗濯ばさみよりは小型で強力、指輪くらいのステンレス線の輪がくっついている。 当時は一般的な家庭用品だったのでどこにでも売っていたしデザインや色も豊富だったが、今は見かけないところを見ると、あれも時代の波の中に消えていった「昭和の品」のひとつだ。
 でもグリコのレトロおまけのラインナップなどにはもちろん出てこないマイナー品なんだろうな。

 あれは、私が幼稚園に通っていたころのこと。

 その頃すでに今のタイプのカーテンレールは存在していたはずだが、田舎だったし、我が家は父とその友人たちの手によるセルフビルドだったこともあって、とにかくカーテンレールなんて洒落たものはなかった。
 で、我が家で使っていたカーテンバサミ。それは、とっても可愛らしかった。ピンク色でころんと丸くて、逆さまにすると、小さなおもちゃのロケットみたいな形。

 私は、これが好きで好きでたまらなかったのである。
 理由はうまく説明できないんだが、バンビちゃん模様のカーテンをパクリとくわえて(そう見える)、律儀に並んでぶら下がっている姿が、とにかく、もう・・・たまらなかった。

 窓辺で見上げているだけでは物足りなくなった私は、その中のひとつをいつもポケットに入れて持ち歩くようになり、母が止めるのも聞かず毎日幼稚園へも持っていき、お気に入りの友達に「いいもの見せちゃるか?」と言っては、遊び場の隅でこっそり見せたりしていた。

 しかし、このままでは紛失する恐れがある。
 そこで私は、カーテンバサミの輪の部分にヒモを通してネックレスのように首にぶら下げることを思いつき、母に頼むと、手近な裁縫箱の中にあった白い平ゴム(要するにパンツのゴムだ)を無造作に付けてくれたのだが、これがなかなか具合良かったのである。
 子供でも簡単に首にかけられ、いつも肌身離さずにいられるのはもちろん、ゴムだからいつでも好きな時にびよーんと伸ばして、顔の前にカーテンバサミを近づけて、じっくりとその完璧なフォルムや、イチゴミルクのような色を愛でることができる。
 そうしているうちに、ますますそれが好きになり、もうカーテンバサミなしではいられないほどになっていた。

 そんなある日、たぶん親戚の法事か何かだと思うのだが、私は母に連れられて人がたくさんいる広い場所へ行った。
 少しおめかしの服に、もちろんカーテンバサミもしっかり首に下げて。

「あら、○○(私)ちゃん、それなあに?」
 誰に聞かれても、私はそれについての上手な説明ができなかった。
 もはやそれは私にとってカーテンバサミ以上のものになっていたから、「カーテンはさむヤツだよ」なんて簡単に口に出してしまったら、何か大切なものがスーッと消えてしまいそうな気がしていたのだ。
「なんか知らないけど妙に気に入っててさぁ、どこに行くにも持って歩くのよ~」
 母が誰かとコソコソ話しているのを背中で聞きながら、私は胸元のカーテンバサミをぎゅっと握りしめ、「この気持ちは誰にもわからないんだ」と思った。
 そう思いながら、なんだか切なく淋しく、そして果てしない孤独を感じた。

 今になってみれば、それはまぎれもない「愛」なのだった。

 誰にも理解されない愛、そして愛するがゆえの孤独。
 私は、自分でも説明できないこの不思議な感情をもてあまし、カーテンバサミを握りしめたまま、首のゴムを無意識に伸ばしたり縮めたりを繰り返した。
 伸ばしたり縮めたり、伸ばしたり縮めたり、伸ばしたり、もっと伸ばしたり、もっともっとぐーんと伸ば~~~したり・・・・
 
 「ぶちっ!」・・・・突然、鈍く大きな音がした。

 次の瞬間、焼けるような鋭い痛みが頬に走り、目の前が真っ暗になった。
 真っ暗な中に、鮮やかな火花がチラチラと見えた。
 何が何だかわからない事態と痛みに、泣くつもりがなくても涙が出た。
 そーっと目を開けてみると、私の手にあったはずの愛しいカーテンバサミもパンツゴムも、跡形もなく消え去っていた。伸びきったゴムがとうとうぶち切れ、カーテンバサミがパチンコ状態ではじかれて、私の顔に直撃したのだった。

 ややしばらくして、どこか遠くでコツンと、小さく固いものが床に落ちる音がした。

 でも、すでにその時の私には、それを拾いに行く気持ちはなくなっていた。
 ゴムが切れた瞬間に、私の中の何かも一緒にぶちんとはじけて消えて行ったのだ。

 私はそこで、また別の新しい感情に出会う。
 胸にぽっかりと穴があいたような空しさ・・・そして、やっぱり孤独。

 気がつくと、もう何も、愛してはいなかった。
 

 これが、私が人生で初めて体験する、愛する者に裏切られた瞬間だった。


 
     あ、いま思い出して、きゅんっ・・・となった。
 
 
 
 

 


 

 
 

2005/08/19

ゴミ屋敷を包囲せよ~番外・胸きゅん感度チェック

 「ゴミ屋敷」叔父が、近所にできたスーパー銭湯へ行ったらしい。

 そういえば、風呂なんて、今までどうしていたんだろう?
 その辺のことについてはあまり深く考えたくないんだが、すべての部屋がゴミで埋め尽くされた状態で、風呂場だけが無事なんていうのはちょっとあり得ないんじゃないか?だってそれに、もし入れる状態だとしても、入浴後に掃除はしてるか?
 普通の家だって風呂場を清潔で快適に保つのは結構大変なものだ。ましてや、郵便物ひとつ投函するのだって「疲れてドキドキして大変だ~」と騒ぐあの自称「病弱」叔父が、腕まくりしてプラスチックの「ロバ君」靴(えっ!知らない?そんなはずは・・・・)で浴槽を磨いてる姿なんて・・・・ダメだ。どう頑張っても絶対に、たとえロバ君靴を履いてなくたって、想像はできん。
 使ったまま掃除せずに垢とカビだらけで放置するくらいなら、風呂に入らずにいるほうがよっぽど良い。・・・・良くないかい?。

 まあ、とにかく。

 めずらしく外出する気になった叔父。しかもスーパー銭湯だ。
 プライドが高く、人嫌いで、社会のあらゆるシステムにことごとく不信を持つ叔父が、大勢の他人の前でぺろんっと裸になることなど出来るのだろうか?
 そんなことが出来るくらいなら、もっともっとものすごくいろいろなことができるはず。
 よし、行ってきなさい、スーパー銭湯!

 ・・・で、意外にも叔父はスーパー銭湯がお気に入りになった様子。そうとう気持ち良かったらしい。
 今週もまた行くと言っている。
 近所と言っても、バスに乗って数十分の距離。叔父にとっては大冒険と言えるくらいの遠出だ。行きはともかく、帰りは何種類ものバスの中からゴミ屋敷方面へ向かうバスを選んで乗らなければならない。目の悪い叔父には、次々とやって来るバスの行き先を見定めるのは結構難儀なことだろうと思う。


 今日、買い物からの帰り道、バス停に佇む老人を見た。
 夕刻のラッシュが始まった頃で、バス停には大勢の人がいた。乗り場で列を作る習慣のない我が町(これ、ここの特徴らしい)では、みんな我先に乗り込もうと、バスの来る方向を睨みながら落ち着きなくひしめき合っている。その中からはじき出されたように、少し離れた場所にその老人は立っていて、次々とやって来ては乱暴に停車するバスが掲げる行き先を、人垣のすきまからのぞき込んだり、身を乗り出して見上げたりしながら、必死で確かめている。
 彼が乗るバスは、なかなか来なかった。

 私はふと、ゴミ屋敷叔父のことを思った。
 きっと彼もあんなふうに、人の波からはずれた場所で、見逃さないように間違えないように、小柄な体を緊張で一杯にしながら、夕暮れの停留所でバスの来る方角を見つめているのだろう。
 一瞬、胸が、きゅん・・・とした。
 ん?・・・なんだコレ。
 全然愛してなんかいないのに、本気で死んでほしいとまで思っているのに、それでもその人の姿を思い浮かべて胸がしめつけられる。

 ・・・・・なんのことはない。つまり、これが「夕暮れマジック」というやつだ。
 特に晩夏に近い夕暮れは、どんな光景でも、もの哀しく切なく見せるのだ。

 しかし、それでなくても私は「胸きゅん感度」が高い、あるいは感動の沸点が低いとよく言われる。話し方がヘタということもあるだろうが、私が感動話として語るハナシに一同共感!感涙!なんていうことはほとんどなく、「あのさ~、それって、どこにどう感動したの?」と聞かれ、シラ~ってことになるワケだ。
上述の情景の胸きゅん感も、どれくらいの人にどの程度理解してもらえるのか、きわめて不安。

 そこで、本日のお題である。(ここまで長くてすみません)

 この記事を読んでくださる数少ない皆さんは、どの程度の胸きゅん感度をお持ちだろうか?
 下記の光景をイメージして、胸がきゅんっ・・・とするかどうか、試してみてください。
 ※背景場面のディテールにこだわり、出来る限りリアルにイメージすること。


1 昼下がりのスーパーの化粧品売場で、万引きが発覚して警備室へ連行されるオバサン。盗んだものは盆菓子と孫のオモチャと美容クリーム(コエンザイムQ10配合)。


2 自宅洗面所の鏡に向かって英語の決めゼリフとポーズの練習をする新庄選手。テキストは小林克也のカセット5巻セット。


3 3億円を強奪して逃亡した犯人。2日後に弁当屋でシャケ弁と「本日のおすすめ総菜」肉豆腐を買ったところ、札番号から足が付く。車の中で弁当たべてる最中に取り押さえられ、割り箸を持ったままわずかに抵抗するがあえなく逮捕。盗んだ3億円のうち使ったのは弁当屋の代金540円のみ。


4 プロ野球に入団した息子が始めて出場する試合を、ソバ屋のテレビで見る星一徹。店主が「食べ終わったんならさっさと出ていってくれ」と言うが、ソバにはまったく手がつけられていない。   


5 いかにも旅行慣れしていない様子の老夫婦が、ひなびた田舎の駅で不安そうに時刻表を見上げている。ジイサンは首からカメラ(黒皮カバー付き)、JALのロゴ入りバッグ斜め掛け。


6 地元商店街にある洋品店で、ジーパンの裾直しを頼むダンディ坂野。


7 糖尿病の大地康雄



 さあ、どうだろう。
 きゅんっ・・・と来たかな?

 はっきり言って、私は全部にきゅんっ・・・だ。



 






 
 

  

2005/08/18

ゴミ屋敷を包囲せよ!~7

 前回の記事はいくらなんでも長すぎた。
 そのうえ、この話題だけでもう今日で7回も続いている。長い。
 そろそろ「結」に持ち込みたいところだが、なんせ現在進行形の話題なもんで、不本意ながらこの後もしばらく牛の涎のごとく続いてく見込み。

 今日は市の無料法律相談日。
 ダンナが日中仕事を抜けて行くと言っていたが、はたしてどうなっているか・・・?

 ところで昨夜、友達から電話が来た。
 このブログを読んでくれている数少ない友達だ。
 叔父の「ゴミ屋敷」籠城問題から発展して、引きこもりの話題になった。
 彼女は高校教師をしているのだが、「引きこもり」問題に取り組んでいる同僚が「引きこもりをしている人の多くが一様に{自分は他の引きこもりの人達とは事情が違う}と思っているらしい」と言っていたそうだ。不登校の場合も同様で、不登校をしているそれぞれが、みんな自分の事例を「不登校」というひとつの括りの中で語られるのを嫌がる。

 嫌がっているのに何ではあるが、あえて不登校や引きこもりの現象を、私の経験に基づく私論で解釈すれば、学校や社会の仕組みの中で他人と協調するために「個」を押さえ続けてきたが、ある時、押さえつけられていた「個」が自分のなかでたまりかねて反乱を起こす・・・というようなことではないかと思う。
 「みんなと一緒」では楽しめない「自分」がいつもかすかに存在していて、ある日それと向き合ってしまう。そして「これが本当の自分なんだ」と気付く。するともうその先は「みんなと一緒」が辛くなる。どこにいても何をしていても違和感ばかりが大きくなって、せっかく目覚めた「本当の自分」を迎え入れてピッタリとはめ込める場所は、見渡す限りどこにもないことに絶望する。 
 絶望しながらも、「本当の自分」を心の奥底に追いやって、社会の中で何喰わぬ顔で生きられる人もいれば、そうでない人もいる。
 そうでない人の中にも、「本当の自分」を全面に押し出して、傷つきながらも既存の世界の中に必死で居場所を探す人もいれば、小さな部屋に閉じこもり、いつか自分にふさわしい世界が扉の外に出現するのをじっと待つことを選ぶ人もいる。あるいは、別の次元の世界を探す。あるいは、その他etcの行動を試みる。
 雑な言い方かもしれないが、こう考えると、それぞれのいきさつで、それぞれの方法で、それぞれの「人とは違う本当の自分」に目覚めてしまった人たちが、その「自分」とそれぞれの向き合い方をしようとしているのに、それを「不登校」や「引きこもり」と言った既存の言葉で括られて語られてしまうのは嫌だナ~他の人とは違うのにナ~と思う気持ちも、理解できるような気がする。

「これは私の身におこった、私だけの問題。それを他の人の話と一緒くたにして考えてもらいたくない」
 こう思っている人は多いのだと思う。
 たしかに、たとえば絡まった糸がすべて同じ方法で解けるわけではないのと同じように、一見して同じように見えても、過程や解決法はすべて違っているはず。
 ひとつの問題にひとつの回答を書き入れるように、ひとつひとつに丁寧に対処していかなければならないのだと思う。

 ただし、自分が直面した悩みや問題に自分だけの答えを求めているならば、見識者と呼ばれる人達がテレビの中で社会問題として語っている言葉ではなく、目の前で自分だけに向かってしゃべってくれる人の言葉に耳を傾けることが必要だと思うよ。
(奇しくも今日、不登校問題に取り組んでいるウィズさんが、エスパニョ~ル日記のところにトラックバックしてくれているので、もしこの方面に関心をお持ちのかたはどうぞ)


 じつは先日、叔父が「ボクは、よくテレビでやっている引きこもりっていうのとは違うんだよ」と、唐突に言ったのだ。
 私は「ほほ~ぉ!」と、深く感心した。
 何がどう違うのかの説明はないまま別の話題に流れてしまったのだが、これは叔父が自らの生活を省みるためのステップになりはしないかと、淡い期待を持った。
 たまたま「引きこもり問題」を扱う番組を観ていて、ふと自分の暮らしぶりに思い至り、照らし合わせてみたのだろう。その結果「いや、ボクはこの人たちとは違う」という結論になった。
 結論はともかく、こんなふうに、世間で話題になる事象に自分の状況を重ねてみるというのは、自分を客観視するための良い訓練になりそうだ。
 同じように、「ゴミ屋敷問題」や「リフォーム詐欺問題」「高齢者のカード破産問題」についてもじっくり照合ねがいたいものだ。
 たとえ「ボクはこれとは違う」と思ったとしても、「じゃあ何がとう違うのか?」と突き詰めてみてほしい。どうせヒマなんだから。
 そうすれば、小差はあるが大差はないことに気が付くだろう。テレビで観た問題に自分が合致することに気付けば、プライドの高い叔父は、少なくても「違う」ことを立証するために何かを変えようと思うかもしれない。

 
 叔父が自分を引きこもりとは違うって言っていたという話を、ダンナにしたら、
「あ~ん、そこでもっと上手におだてて、そうですね叔父サマは引きこもりなんかじゃなく、きちんと社会生活してますもんね、自分のことは自分でできるし、誰とでも会話や交渉ができるし~とか言えば、その気になるかもしれないのにぃ」
 とか言っていた。
 ナルホドな。

 このごろ、昼夜問わずかかってくる叔父からの電話に嫌気がさして居留守を使っている。 

 一時期は、「いのちの電話」さながらの忍耐力で叔父の繰り言を聞いてやっていて、その頃はたしかに私との電話を楽しみにしているのを感じていたし、内容は結局ダンナ父や社会全体への怨念だとしても、それを吐き出した後はスッキリした様子で、天気の話などして穏やかに電話を終えていた。
 でも、ダンナの好意で始めた送金が、約束の時期がきてもちっとも終わる様子がなく、それどころか金額が増えてゆくという事態になってからは、いろいろな部位の図太さを売りにする私でも、さすがに叔父と話すのが辛くなってしまった。

 ダンナは、私の忍耐力を利用して、叔父がなかなか語ろうとしない借金の全貌や、暮らしぶりの詳細を聞き出させようとしていたが、私が少しでも金銭問題に触れると、それまで快調に社会批判を展開していた声が、とたんにモゴモゴと聞き取れなくなり、叔父によれば「電話の調子がわるく」なってしまう。
 そんなことを繰り返されて、だんだんアホくさくなってきたのだ。

 かと言って、シカトばかりしてて、もし万が一なにかあっても困るので「留守の場合は留守録にメッセージを入れてください。聞けば必ずかけ直しますから」と叔父には言ってある。
 が、めったにメッセージは入らない。
 無言。時には、ため息。

 留守録にメッセージを残すことも、考えようによっては社会参加のひとつだろう。
 ぴーっと鳴ったら、名乗る、用件を言う、「では、よろしく」と頼む。数十秒に収まるように簡潔で適切な言葉を選び、相手に伝わるように明朗に。
 これは一定のルールの中で自己表現をするということだ。些細なことだが、そういうことがひとつずつ出来るようになっていくことが、人と関わり合うための大切な訓練になるのではないだろうか。

 ま、居留守使ってるヤツが偉そうに言えることではないんだがな。

 あ、でも20回に一回くらいは電話に出るようにしてる。

「緊急事態ですごく困っていたのに、何回電話しても君たちが留守だったから、仕方なくまたカードでキャッシングした」
 と、この間言われてしまった。

 電話に出ても地獄、出なくても地獄。


 では、今回はここまで。やっぱり長いなぁ。



  


 

 


 





 

2005/08/17

ゴミ屋敷を包囲せよ!~6

 「ゴミ屋敷」叔父がカード地獄に陥っていることを知って、私はすぐに、以前友人が体験した「免責手続き」の話を思い出した。

 私の友人は、ある会社の社長の一人息子と華々しく結婚したが、その直後に会社が倒産。夫の両親は多額の負債を残して心中自殺。かわりに債権者から追われる身となった友人夫婦は夜逃げして、今も隠れ暮らす日々だが、ようやく昨年知人に弁護士を紹介されて、免責手続きをしたところ。

 早速連絡を取って免責についての詳しい話を聞いたのだが、それによると、契約を交わしたクレジット会社全社の当初から現在までの支払い明細書が必要とのこと。

 うーむ。難しい・・・・。

 それらの書類がゴミに埋もれて行方不明の場合はどうしたら良いんだろう?
 でも、たとえ発見されたとしても、本人に開示する意志がない場合は?
 ・・・・そりゃ、免責を希望してないってことになってしまうだろう。
 何か合法的手段で、強引に家へ入って叔父を押さえつけ、家捜しするとかいう方法はないものか?


 でも、何より最も良い方法を、私はとうの昔から知っている。

 そんな人とは一切関わらないことだ。


 しかし、ここへ来て少し困ったことになっていた。
 こんな私の気持ちを知っているダンナが、この件についてほとんど語らなくなってしまったのだ。
 それでも送金は続いていて、ダンナが忙しくて日中に仕事を抜け出せない時には、代わりに私が銀行へ行って叔父への振り込みをするわけだが、回を重ねる度に増えて行く振り込み額に私が憮然とすると、「今月だけ、とにかく何も言わず振り込んでやってくれ」と言う。

「ああいう性格の人だから、プライドを傷つけないように上手に対処しないと取り返しのつかないことになる。ようやく少しづつ現状を話してくれるようになったのに、こちらが強引に動けば、また態度を硬化させてしまう。そんなことになってウチへ助けを求めなくなったら、きっとまた別のところで借金を重ねることになる」と、ダンナ。
 
 以前にも書いたが、ダンナはこの叔父がもたらす苦労を宿命と感じ、面倒をみていこうと悲壮な覚悟を決めている。自分の父親のせいで人生のすべてが狂ったと主張し続ける叔父に、それがただの妄想的思い込みだったとしても、反論や憎しみによる抗戦ではなく、誠意的対応で気持ちを和らげ、いつの日か亡き父への誤解も解消したいと願っているのだった。

 しかし申し訳ないが、私はそんなダンナに物言わず随伴できるほど殊勝な人間ではないし、たとえ下世話と罵られようとも、貧乏人と嘲られようとも、金は惜しいのだ。
 
 ところが、ほとんど孤立無援の状態だった。

 ダンナ母は、
「アナタも大変ね~。でも、叔父さんのことは放っておくしかないのよ。甘やかせばつけあがるし、自分の都合しか考えないし、何を言っても無駄だから。とにかく関わらないことよ」
 自律神経失調症の気があるダンナ母は、叔父の話を聞くだけで体調が悪くなるので、もう一切考えたくないのだと言われた。
 二人いるダンナ妹も、子供の頃の失言で叔父には徹底的に嫌われていたが、祖母が亡くなったときには「叔父さん、今までいろいろあったけど、これからは助け合っていこうね。何かあれば連絡してね」と優しい言葉をかけたらしい。でも、そう言いながら結局自分たちの連絡先は教えなかったので、「口先だけのヤツら」とますます叔父の不信感を助長させることになっていた。
 でもせめて彼女らに、ダンナの叔父への送金の事実だけは知っておいてほしいと思ったが、一人は結婚して出産したばかりで、おまけにようやくマイホームを購入したところ。もう一人は外国人と結婚し夫の本国へ移住して求職中の上、その夫にはややDVの気配が・・・。
 こんなダンナ妹たちに、さすがの私もなかなか切り出すことができなかった。

 消費者相談センター、無料法律相談、市役所の市民生活課等々、少ない知識の中で出来る限りの相談窓口へ当たってみたが、詳細を知っているダンナが行かない限り、これ以上私一人で動けば、かえってややこしいことになりそうだった。

 一人でこの問題を抱え込み、誰にも相談せず、法的な手段にも踏み込まないダンナに、私はすっかり業を煮やしていた。
「叔父さんもそれなりに自立の方法を考えているみたいだし、自分で納得して動き出す気持ちになるまで、すこし猶予を与えてあげたい。そのためにこちらが多少のお金を失っても仕方ないと思っている」
 などと言い続け、
「役所や弁護士に相談しても取り合ってはくれないだろう」
 などと勝手な自己判断をして、単に面倒なことを先送りしているに過ぎない。
 私にとっては、叔父そのものよりも、叔父との不毛なやりとりでストレスを溜め、ダンナまでこんな頑なな人になりつつあることの方が問題だったし、そのせいで私とダンナとの関係にまで軋轢が生じはじめていた。
 私は、とにかくダンナに今の事態の切迫感を自覚してほしかった。

 私は、とうとう離婚の決意を臭わせながら「すでに第三者の介入の時だと思う。アナタがそれをしない限り、私は今後一切の関わりを絶つ。二度と叔父の電話にも出ない」という内容の家庭内メールを送り、私が調べた相談先リストを見せ、翌日からしばらく家を出ることにした。
(なんちゃって、友達と旅行に出かけただけなんだけど)
 
 これを受けて、ダンナはようやく重い腰をあげ、私の留守中にとりあえず消費者センターと市役所の相談窓口へ行ってくれた。
 しかし、消費者センターではやはり明細書がないと免責手続きもできないと言われ、市役所では本人が相談に来ない限り何も出来ないと言われた。
 叔父がこれ以上カードで買い物をしないように成人後見制度についても聞いてみたが、本人が認知症ではない限り、何も手出しできないこともわかった。
 それでも、どの相談先でも、こんな叔父の存在を気の毒に思ってくれ、かなり深刻な問題だと認めて熱心に話は聞いてくれたらしく、ダンナは「これは個人的な問題ではなく、それなりの機関に手を借りるべき事なのだ」という認識はしてくれた様子で、すこしホッとした。 

 さりとて、これで何か問題が進展したわけではなく、叔父がゴミ屋敷での籠城をやめない限り、何一つ解決はしないのだった。

 叔父が希望する金額を送金すれば、それがそのままダンナへの「信頼」となる。しかし、その機に乗じて一言でも「弁護士」とか「役所」とかいう言葉を出し、第三者の介入を目論んでいる様子を見せたとたん、異常な拒絶反応で、会話が成り立たなくなってしまう。

「ボクは絶対だれにも関わってほしくないんだ。ボクの生活に誰も口出ししてほしくない。ボクの大変さは誰にも理解できない」
 
 あ、そ。
 ほんじゃ、関わりません。金も送りません。

 ・・・・と、私なら言うところだが、ダンナは決してそんなことは言わない。

「わかったよ、できるだけ叔父さんの静かな生活は壊さないようにしてあげるから」
 と、とりあえず根気よくなだめすかす。
「そのかわりボクには正直に何でも話してね。そうしてくれないと、叔父さんを助けてあげられないんだよ。おばあちゃんの世話で大変だった時の買い物は仕方ないとしても、これからは何か買う時には必ずボクに相談してね。カードで買い物しないでね。必要なものだったらボクが買ってあげるから」

 念のために弁解しておくが、ダンナは決してバカではない。
 多少は、坊ちゃん育ちで世間知らずでお人好しで仕事が遅くて不器用でカンが鈍く、面倒なことは先送りにして結局そのまま忘れるし、叔父と血がつながってるだけあって頑固でやや思いこみが激しい部分も感じられる。足も臭いしオナラもするし頭は薄くなってきた。
 が、決してバカではない(・・・と思う)。
 叔父にこんな甘い言葉を言うのは、一応彼なりの戦略なのである。

 叔父に他者と関わり合う機会を持たせる、というのが目下のダンナの作戦。
 もちろんこれ以上のカード使用を防ぐ目的もあるが、「こんなものが欲しいのだが」と人に相談し、欲しい理由を説明し、意見を聞く。自分の知識だけでなく、人の意見や情報も得て客観的に比較検討し、判断する。ダンナを練習台にしてそんな訓練を重ねていけば、少しづつ他の人との会話や交流もできるようになり、やがてゴミ屋敷での立て籠もりをやめて、しかるべき機関へ自分の生活についての相談をしようという気になるかも、という淡い期待がある。
 とにかく叔父自身が動き出さなければ、どうすることもできないのだから。

 目も、歯も、最近では「下」の締まりも悪くなってきた様子の叔父。
 今でも、相変わらず「緊急事態」と言っては通販サプリ類を買ってしまう。
「突然オシッコの切れが悪くなったので、それに効くサプリメントを緊急で買った。高かったので、今月またお金を多めに送ってくれ」と、この間また言ってきた。

「何か買うときには相談してって言ったでしょ。そんなことより病院へ行って!行かないとお金送らないからね」と、ダンナ。
 「金を送らない」と脅せば、叔父も焦って少しは言うことを聞くようになってきたので、ダンナは度々この手を使うようになった。
 医者でも何でもいいから、とにかく外へ出る機会を増やそうと試みている。
 金を送ってもらうために、叔父は仕方なく病院へ行ってみたらしい。なかなか良い傾向だと言える。

 しかし、決死の覚悟で受けた診察の結果、「加齢のための症状だから仕方ない」と言われたそうで、叔父は激憤した。
「人をまるで年寄りのように言う、ひどい医者だ!医者のくせに人間の体のことを何一つわかっていない!」
 まあ、もともと医者を信用しない人だから、この結果はますます不信感を強めることにはなってしまったが、これは叔父にとってものすごく久しぶりの「新しい出来事」だったので、しばらくの間はこの話題に熱中していた。
 こんなことでも、ダンナ父への恨みや祖母の死以外のことに関心を持ってくれるのは、そう悪いことではない。

 それにしても、口を開けば体の痛みや不調を訴え、簡単なことで「ボク病弱だから、死んでしまう~」と騒ぐ叔父だが、自分が「年寄り」だという自覚はまったくないのだということを、この出来事で知ることができた。

 長年に渡って母親と二人きりの生活。外界と遮断された家の中で、二人は何歳になっても母と息子であり、「ママ」と「○○(叔父)ちゃん」だった。
 母親から、病弱だから外へ行ってはイケナイと言い聞かせられて育った叔父は、「いつか病気さえ治れば、自分はいつだって社会に必要とされ尊敬される仕事ができるのだ」と信じていたし、今も信じ続けている。
「今ある借金もすでに自力で返済できないんだから、今後新たな借金を作ってはイケナイ。処理は専門家に任せて、アナタは今後の身の振り方を考えなさい」という話が叔父に通じない最大の理由は、つまり、叔父が自分を「年寄り」だと自覚していないところにあるのだった。

 ちなみに、現在ダンナから送金されているお金は、叔父の認識ではあくまで「借りている」もので、やがて「社会に必要とされる仕事」によって膨大な収入を得るようになれば、返済する予定なのらしい。
 借金の詳細や明細書についてとやかく言うと不快感を露わにするのも、「返すつもりで借りているのだから、詳しい使い道についてはいちいち聞かないでくれ、自分でやりくりしたいのだ」ということなのだ。
 考えてみれば「君の父親にヒドイ目に合わされたんだから金よこせ」と言っていた頃に比べると、まあ少しはマシな状態になってきたと言えるのかもしれない。

 もっと書きたいが、また5000字を越えてしまった

2005/08/16

ゴミ屋敷を包囲せよ!~5

「ゴミ屋敷」叔父は、じつはかなりの通販マニア。

 何があっても決して病院に行こうとしない叔父(74歳)とその母(2003年没、享年96歳)は、そのかわり通販の健康食品、サプリメントの類に絶対的信頼を寄せている。

 医者に行かない理由は「病院は医療ミスがあるから」。
 まあ、たしかになあ・・・・これでもか!というくらい、各地の病院で医療ミスが頻発している世の中だ。そんなアブナイ場所へ行くか?行かないか?、自己責任の上で選択せねばなるまい。

 しかし、だ。
 だからと言って、危機に瀕した時に「緊急だ!」と言ってサプリメントを買うか?あれは慌てて飲んだところで、すぐにどうにかなるというものではないだろう。

 叔父が、通販の情報に目を光らせているらしいことは、言葉の端々からなんとなく感じてはいた。

「テレビで宣伝してる金魚運動機って、アレどうなんだろうねぇ?」
 と、以前唐突に聞かれたことがある。
「ああ・・・腰に良いって言ってますよね」
「おばあちゃんが寝たきりだから、運動のために買おうかなと思って」
「・・・・・・」

 ゆらゆらと金魚運動機で揺らされる寝たきり老人96歳・・・・。
 いいのか・・・・?床ずれ防止とかにもなるのかなあ。もしかしたらもの凄く良いのかもしれないが、とりあえず私にはわからない。
 でも、きっと、買ったに違いない。

 叔父が「おばあちゃんの看病のために緊急で買った」という通販の総額は、恐ろしいことになっていた。リフォーム詐欺が疑われる屋根修理費(参照「ゴミ屋敷を包囲せよ~2」)なんて、もはや吹けば飛ぶような金額だ。
 ようやく聞き出してみたら、月々の支払い額はなんと20万円以上にも達していた。

 ・・・・・何度思い出しても立ちくらみがする。

 それにしても、年金暮らしの老人が、保証人もなしにこんな買い物ができるものなのだろうか?この辺のことは知識がないので全くわからない。
 通販の支払いに便利だからと、クレジット会社に言われるままカードを作り、叔父はなんだかんだと十枚以上のカードを持っているらしい。
 そのカードがあれば現金を引き出せる(つまりキャッシング)ことを知ってからは、銀行で預貯金を引き出す感覚で頻繁にそれを利用した。返済に困れば、次のカードを作る。
 これが世に言う「カード地獄」ってやつじゃないかい。

「どこの会社にどれくらいの借金があるの?ただちにクレジット会社の明細書を送ってよ!」
 さすがのダンナも青くなった。

 しかし叔父は「それはプライバシーの問題だから、他人に見せてはいけないんだ」と繰り返す。
「絶対に他人に見せてはいけないと言われた」
「誰に言われたの?」
「・・・会社の人だよ」

「怪しい会社じゃないよ。ちゃんとしたVISAカードだから」
・・・・「無人くん」のカードにもVISAって書いてあるよね、たしか。

「キャッシングすると特典があってお得だと説明された」
・・・・ポイントためて抗菌くつ下とかもらえるやつね。

「リボルビング払いにしてるから、ちゃんと返していけるんだ」
・・・・チリも積もれば・・・

「何枚かカードがないと、もしもの時に困るでしょう」
・・・・ああ、「もしもの時」が「まさかの時」。すでにその時だし。

「とにかくおばあちゃんのことで緊急事態だったから」 
・・・無言。


 死んでください。



 ああああああああ、私ったらなんて事を!ダメダメ、そんなこと考えちゃ!

 でも・・・・・



 死んでください。



 ・・・・・・・

 叔父が明細書を送れないのは、つまり、ゴミ屋敷に埋没して、紛失してしまっているらしかった。
 ま、想像はついていたけどね。

 
 すんませんが、まだまだこの話続きます。
 またすぐ続き書きます。
 yahooの人が「5000字までしか書き込めません」って言うんだもん。



 
 









 
 

2005/08/15

ゴミ屋敷を包囲せよ!~4

 ゴミ屋敷叔父が、理由にならない理由を並べたてて「金をもっと送れ」と言い出し、祖母を失ったショックから立ち直れずにいるのだと同情していた私も、さすがに堪忍袋の緒が切れた。

 っていうか、いろんなところがゆるい私は、堪忍袋の緒も最初から結構ゆるめ。そのぶん突然「プチンッ」ってことは少なくて、袋のふちが徐々にめくれていくように、だんだん気持ちが後ろ向きになっていき、最後は完全に裏返る。
 気がつくと、叔父のことが嫌いで嫌いでたまらなくなっていた。
 でも、ここで叔父を非難するような言葉を一言でも発してしまったら、とんでもないことになるのを知っている。

 ダンナ父と長年いがみ合いを続け、財産を奪われたと勝手に思い込み、社会への悪意と不信感に凝り固まった叔父は、何年にも渡ってダンナ家に対して根拠のない言いがかりをつけ続けていた。最初は穏やかに対応していたダンナ母も、度重なる嫌がらせや脅し近い内容の電話に一時はノイローゼ状態になった。
 で、とうとうぶち切れたダンナ母、電話口で叔父を怒鳴って一喝したらしい。その内容については(だいたい想像はつくが)恐ろしくて聞けない。
 同じ事を、ダンナ妹たちもしている。

 でもこれで叔父の言いがかり癖がおさまるわけではなく、ますますその嫌らしさをエスカレートさせていった。それと同時に、我が家への電話頻度が増し、夜昼なく電話をしてきてはダンナ家の人々への身の毛もよだつ恨み辛みを繰り返すようになる。
 ダンナ父への恨みについては耳タコだから、根拠はともかく叔父の個人的感情としては理解はできる。が、その妻、娘にまでその悪感情が波及し、ダンナ母が嫁いできた40年以上も昔のことや、まだ幼なかったころの娘たちが発した子供ならではの無遠慮なセリフまでほじくりかえして悪口をいうのには、聞いていて悪寒が走った。

 世界を拒絶して生きる叔父には新しい出来事がほとんどない。だから何十年も前の事を何度も何度も反芻し、そのたび憎悪をリフレッシュさせてゆく。何度繰り返した話でも、繰り返せば繰り返すだけ深みを増し、まるで昨日のことのようにより鮮明になり、それに対する感情もますます新鮮だ。
 そして、人への憎悪を語る時の叔父の声はとても生き生きしている。
「この人は、憎悪をネタにマスターベーションしている」と思えた。
 それもあの、雨戸を締め切ったゴミ屋敷の奥で・・・と思うと、吐きそうな嫌悪感にさいなまれる。

「私もこんなふうに言われるんだ」と思うと、私自身の人生が暗くなりそうだった。
 だから、必死にこらえて叔父の話をとにかく聞く。反論はしない。時には電話の向こうで延々と話し続けるのを放置して、トイレに行ったりタバコ吸ったりしているんだが・・・。

 そのかわり、金の話と、叔父の話の矛盾点を問いただす役目はすべてダンナにゆだねた。

「今月だけ、なんとかもう少し都合してくれないだろうか?おばあちゃんの世話でいろいろとお金かかっていて、その処理が残ってるから・・・」
「処理って何?もしかして、他にも借金があるんじゃないだろうね!」
「いや、借金じゃない。クレジットカードで払ったから」
「それが借金でしょ!!!」
「・・・・だって、緊急だったんだよ。おばあちゃんが死んじゃうって思って、ボクあせっちゃって・・・」
「それで、何を買ったの?」
「サプリメントとか・・・・」

 なんじゃ、そりゃーーーーーーー!!!!
 

 まだまだ続きます。




 
 
 

2005/08/15

ゴミ屋敷を包囲せよ!~3

 ダンナがゴミ屋敷住人の叔父に送金すると言いだしたとき、もちろん私はムカーッときた。
 が、私自身の困った身内のためにダンナやダンナ父母に結婚前後からかなりの迷惑をかけたこともあって、それを思えば何も言えなくなった。
 まあ、数ヶ月の送金でこの叔父と手を切って平和になれるなら、事故にでも遭ったつもりで頑張るしかないかなあと腹を決めた。

 ダンナは、兄弟仲の悪かった父と叔父とのいがみ合いを子供の頃から見てきて、彼なりに心を痛めていたらしい。だからダンナ父が亡くなった時、いつかは自分がこの人たちの面倒をみようと密かに決心していたようだ。そうせざるを得ないと覚悟もしていたし、父が成し遂げられなかった「和解」を、できればいつの日か自分が・・・と、健気に願ってもいた。

 そんな心根のダンナに、叔父は昔からほんの少し心を許していた。
 他人との交流がない叔父が、唯一電話する相手が我が家なのである。ダンナは留守がちなので、結局私が話し相手になるのだが、昔は二人への悪感情もそれほどなく、まだ元気だった祖母と叔父が交互に電話口に出て、ワイドショーを元ネタに繰り広げる社会批判や世間話に、老人施設のふれあいボランティアみたいな気持ちで付き合った。
 彼らにとってはこの電話だけが「外界」とつながる唯一のパイプだ。そう考えると、鬱陶しくてもそれを断ち切ることは人道的見地から出来なかった。
 まあ、その中で、ダンナ家の不思議な歴史についても聞けたし、ダンナ父との確執の要因や、祖母と叔父が社会から孤立していった経緯もだんだんと見えてきたワケだが・・・・。

・・・・・ダンナ祖母は、3人の息子を産んだ。
 ダンナ父、叔父、そしてもう一人。その3人目は幼い頃に水の事故で亡くなっている。
 その時に、おそらく祖母の心は壊れてしまったんだと思うのだが、息子を失った悲しみと喪失感を別の息子への溺愛で埋めようとした。
 長男であるダンナ父は、そのころすでにワンパク少年に育ってしまっていたから、祖母の過度の愛情は大人しい次男へと集中的に注がれてゆく。三男を失ったのは大きな悲劇だったが、同時にもうひとつの悲劇が始まったのだ。
 「○○(叔父)ちゃんはお外で遊んじゃいけませんよ、お外には怖いものがたくさんあるんだから」
 そう言い聞かせながら、祖母は叔父が学校へ行くのさえ阻み、下へも置かない過保護をした。
 叔父も母親の言うがまま、「ボクは病弱だから外へ出てはいけないんだ。外には怖いものやバイ菌がいっぱいなんだ」と思いながら成長した。
 そう思い込んだまま、就職もせず、結婚もせず、74歳の現在に至っているのだ。

 私が初めてこの二人に会った時、どっちが子でどっちが親か判別できないくらいの年寄り親子が「○○ちゃん」「ママ」と呼び合う姿に、正直ゾッとした。
 ダンナとの結婚直後、二人の家へ初めて挨拶に行った時のこと。その頃すでに「ゴミ屋敷」の片鱗はあったが、「引っ越し荷物が片づかない」という二人の言葉を信じた。
 実際、数年前にダンナ祖父が亡くなるまでは都内に住んでいて、莫大な相続税が払えず、やむなく土地家屋を処分してこの横浜の新興住宅地に越してきたという話は聞いていた。
 慌ただしい引っ越しで、心も荷物も整理がつかず、祖父への哀惜や、できるだけ暮らしを変えたくない思いから、旧居の半分以下の広さしかない家と知りつつも、一切何も捨てられなかったという。

 旧居は都内の超有名高級住宅地の一角に、大正期に建てられた瀟洒な洋館(サンルームつき)だったらしい。
 そこを処分して新居を手配する一切の作業は、社会性皆無の祖母と叔父に代わって、ダンナ父がしたのだが、このことが不幸にも「なんだかワケがわからないうちに家と財産をダンナ父に取り上げられた」と二人に思い込ませる結果となっていた。

 ところで私、ダンナとは何かのはずみでつい結婚してしまったんだが、叔父たちの旧居住地でダンナの本籍地でもあった住所(我々の入籍の際に本籍地は変更した)や、昭和初期生まれの叔父たちが母親を何の冗談でもなく「ママ」と呼ぶことなどから、じつは「お家柄は推してしるべし」の人なのだった。そのことにも肝をつぶした。


 さて、とりあえず話を元にもどして・・・・
 送金を始めて間もなく、叔父が「もう少し金額を増やしてくれないか?」と言ってきた。

 その理由を聞いても、不明瞭な答えが返ってくるばかり。しまいには「君の父親にボクはひどい目に合わされたんだ。それを考えればお金をくれてもいいだろう」という話になってしまう。
 それでもダンナの(二時間サスペンス「取調室」シリーズのいかりや長介ばりの)気長で人情味あふれる事情聴取によって、またまた驚くべき事実が次々と発覚したのだった。

  次回へ続く



 
2005/08/14

ゴミ屋敷を包囲せよ!~2

 「ゴミ屋敷」の住人である叔父に、ウチのダンナは毎月給料の70%にあたる額を送金している。

 なぜこんなことになってしまったか?
 それを説明するには、理解不能な叔父の人格とその人格形成の要因となった長い歴史も語らなくてはならないが、まず送金を始めることになった時のいきさつから書く。
 
 叔父は現在74歳。ウチのダンナの父親(6年前に没)の弟。横浜市郊外の一戸建てに居住。一昨年の暮れ、同居していた彼の母親が96歳で亡くなってから一人暮らしとなった。
 それ以外の身よりはない。
 この人は生まれてから一度も社会に出たことがなく、結婚経験もないのだった。

 叔父もその母親も他者との接触を好まない人たちなので、晩年寝たきりとなった母親の介護は叔父がたった一人でやっていた。
 その母親が亡くなった時も葬式はせず、火葬だけしてもらった。自宅で亡くなったので、叔父はとにかく警察を呼び(10年振りくらいの他人の来訪だったはず)検死をしてもらい、葬式をするお金もないし遺体を置く場所もないと訴え、市の火葬場の遺体安置所に母親の遺体を運んでもらった。
 その時点でウチのダンナが駆け付けたのだが、96年もの生涯を遂げた、ダンナにとっては祖母にあたるその人の亡骸は、引きだし式の安置場に「身元不明外国人」と記された遺体と一緒に冷蔵されていたらしい。

 たった一人で介護をするのは叔父の意志によるものではあったが、ダンナは「いままでおばあちゃんの介護大変だったでしょう」と叔父をねぎらい、叔父の兄(ダンナの父)から「おばあちゃんに何かあった時に渡してほしい」と預かっていた金を、叔父に渡した。
 兄弟仲が悪く、ほとんど接触することのなかったダンナ父と叔父だったが、ダンナ父はそのことを心のしこりとして持ち続けたし、とくに高齢の母親には思いを残して亡くなっていったのだと思う。ダンナに預けたお金は葬儀費用のつもりだったろうが、葬式はしなかったのでそれはそのまま叔父のものになった。

 ところがそれから一ヶ月ほど経って、叔父が「あんな金額では少なすぎる、もっともらってもいいはずだ」と言い始めた。
 この人は長年のいろいろな事情があって、自分の兄に財産をだまし取られたと思い込んでいる(詳細は後述予定)。今まで何度もそのことでトラブルを起こしているのだが、祖母の介護で忙しくなってから少し大人しくなっていた。が、ここへきて再熱したらしい。
 ダンナは噛んで含めるように「誰も何もだまし取ってはいない」ことを叔父に説明し、なぜそんなにお金にこだわるのかを辛抱強く聞き出した。

 それによると・・・数年前、雨漏りがするので屋根の修理をした。その費用をローンで返済しているのだが、祖母の存命中は祖母と叔父の二人分の年金収入で毎月の返済を滞ることはなかった。たしかに、祖母には遺族年金やらいろいろで結構な額の年金が入っていたらしい。ところが、叔父には国民年金しかないので、その額は微々たるもの。つまり祖母の死後、収入が激減したのだ。
「おばあちゃんがこんなに早く亡くなるとは思ってもいなかったから、充分に返していける額だと思っていた」と叔父は言う。・・・・・念をおすが、祖母は享年96歳である。いったい何歳まで生きると思っていたのだろうか?

 ところで、ここで「おや?」とお思いの方もいらっしゃると思うが、その屋根修理の額がちょっとびっくりする金額なのだ。とは言っても、私も相場は知らないし、雨漏りがどの程度だったのかもわからないのだが、とにかく修理費用に65万円請求されている。これってどうなんだろう?昨今話題の悪徳リフォームの類(参照http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/reformsagi/)なんじゃないだろうか?とかすかに疑念を持つが、実際雨漏りはしていたらしいし、屋根の修理は祖母も望んだことだったから、叔父はそれをしたことを悔いてはおらず、とりあえずこれについては詳しく追求しないことにした。
 その65万の費用はクレジット会社を通して60回の分割で支払う契約をしている。60回もの分割だから手数料20%以上かかっているが、月々の返済額は13000~14000円だ。
 それがあと五ヶ月で完済する。ダンナ父の遺産からこれ以上もらえるお金がないとわかると、叔父はせめて完済するまでの間、なんとか援助してくれないか?と言った。
 残額はわずかだったのでダンナが肩代わりして一気に返済し、その上で今後の生活の目途をたててはどうか?と提案したが、聞き入れてはもらえなかった。屋根の修理代をちまちま返済し続けることが、叔父にとっては母親との時間を懐かしみ惜しむ作業でもあったようだ。
 母親を失ったショックから立ち直れないでいる様子も察し、とりあえず毎月いくらかの送金をすることにして、遅くても一年後には、叔父に今後の身の振り方を決めてもらうことにした。

 その頃の送金は今ほどの額ではなく、多少の無理をして新車を買い12回払いで支払うくらいの感覚だった。それで叔父が自立もしくは家を処分して老人施設に入る決心でもしてくれれば肩の荷が下りる・・・・・はずだった。 
 
   
  


  




 
 
 
  

 

2005/08/02

アリ天国


アリの観察が趣味になりつつある。

家に居ながらにして寝転がったまま観察できるから・・・・って、どんな家に住んでるんだ。

ここは団地の五階。いったいどこからやってくるのか?と思いつつアリの行列の元をたどってみると、ベランダの鳩フン溜まりのあたりに行き着いた。フンが腐葉土のごとく土化して、その中にアリが巣くっているのか?ゲゲゲー!
それよりも問題はこのアリ(体長約1~1.5ミリ、赤茶色)どうやら人間をかじるのだ。
みだらな格好(?)で床で寝ていたりすると、肌のあちこちにチクリと小さな刺激を感じ、見るとアリが肌の上を歩いている。おちおち寝てもいられない。そのうち解体されて持ち運ばれるぜ。
いくら自然との共存を提唱する私でも、これは困る

そこで登場するのが、私のお気に入り「アリの巣コロリ」。
最近のは「くろみつ配合」でおいしさアップ。さらにゼリー状と顆粒状の2種類のエサが入って、どんなタイプのアリにでもお気に召してもらえるようになった。

では、アリの通り道へ設置。
・・・・よしよし、先遣部隊のアリがまず黄色い顆粒状のエサを発見。匂いをかぐ。
「あ・・旨いモンがある」この知らせを聞いたアリが続々とやってくる。しばらくは顆粒状のエサにみんな熱中。
「わぁ、こんな近くにあって便利~!それに運びやす~い!」
「それ、運べ!運べ!」

やがてその中の一匹が、隣にあるゼリー状のものに気付く。
「こっちにあるのは何だ?ちょっと見てみるか・・・・ん?うぉぉわぉ~う、う、旨いじゃ~ん!たまんねぇ~うひょ~」

顆粒状のものはある程度検査して安全と思えば運び始めるのだが、ゼリー状のほうは、その場で蜜を吸っているのか、ゼリーの粒に抱きついたまま動かなくなってしまう。あまりのおいしさに、運ぶことも忘れ酔いしれているよう。そのため、第一発見者の「エサここ」信号はなかなか他のアリに伝わらず、しばらくは独り占め状態。
しかし、ゼリーに埋もれて恍惚としているアリを他のアリが不審がって近寄ってくる。そしてまた一匹、また一匹と、めくるめくゼリー地獄に埋没してゆくのであった・・・・

「おい君こんなところで何しちょるか!さっさと・・・え?何コレ。あ・・イイ匂い・・あ、あ、ダメ・・・ダメよ、こんなこと。でも、ちょっとだけ・・・・う、う、う、旨~い!!!」
「女王様に献上する前にちょっとだけね・・・」
「こんな旨いもん、他のヤツらになんて渡せねえ」
「おれ、もうココで死んでもいい。ずっとコレ食べていたい」
「うぇ~~っプ、てやんでぇ、なにが女王様だよ~やってられっかよ~」
「れろ~れろ~」

1時間もすると、ゼリー状の部分に黒だかり。
生真面目な運び屋人生一筋だっただけに、一度甘い蜜の味を覚えてしまうと勤労意欲も簡単にふっ飛んで、すっかりアル中アリと成り下がる。

それでも一晩するとゼリーは半分くらい減っていて、アリの姿は全くなくなっていた。
死体も見えないところから、なんだかんだと言いながら結局は巣に運んでいったのか・・・。

「・・・ボク、やっぱりコレを持って巣に帰ります」
「ちぇっ、つまらんヤツ。そんな人生でいいのかよっ」
「ボク、組織を・・・いや、あの女王様を裏切れないっすっっっ!(泣)」
「不器用なヤツよなあ」
「笑ってください、所詮ボクはこんな生き方しか出来ないんです!!!」
「ふん、好きにしな」
「アリは漢字で書くと虫に義、音読みすればチュウギ(忠義)です!!」
「お、お前・・・・うぉ~(号泣)」