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2005/09/07

ゴミ屋敷を包囲せよ!~10

 このブログを読んでくださる数少ない皆様。
 とうとうこの話題、10回目を迎えてしまいました。そろそろ専用書庫を作った方が良さそうな気もするんですが、なんだかそんな気にもなれず、とにかく早く決着してほしいと願いつつ、牛の涎のごとくダラダラと力無く書き続けているのであります。



 さて、本日は台風一過で爽やかな青空。
 しかし我が家では相変わらず、ゴミ屋敷から時空を越えて吹いてくる嵐に苦しめられているのである。

 月曜日、ダンナがようやく重い腰をあげて無料法律相談に行ったのだが、そこで以下のようなアドヴァイスをもらった。
 
 まず、負債について。
 もっと早い段階でなら「免責」手続きが有効だったが、かなりの額を返済してきた様子なので、現状で考えられるのは「任意整理」という手段。
 これによって過去に返済してきた金額の利子を見直し、場合によっては残額を消滅させることができるかも。
 しかし、これについては過去の記事に書いてきた通り、本人がその意志を持って負債の詳細を開示しないかぎり、どうにもできない。

 それと、叔父をゴミ屋敷から引きずり出す方法として「おお!」と思ったのが、ダンナが今まで送金してきたものに対して、抵当権を付けた借用書を作成するというもの。
 抵当権を叔父の家に設定しておけば、期限内に金を返せない場合、強制的に退去させることができる。

 叔父はダンナからの送金を「いずれは返すつもり」と言っているが、現実的には絶対無理。
しかし、本人が返すと言っているのだから、とりあえず叔父の責任感や認識を喚起するためにも借用書を作成してはどうだろうか?ということは前から考えていたのだが、それを司法書士に依頼して、強制力を持った正式な書面にしておくのだ。

 もちろん借金のカタにゴミ屋敷をもらっても処置に困るだけだが、叔父を家から引きずり出して、しかるべき施設に入れることはできるだろう。

 家のことはともかくとしても、この方法はダンナが叔父に対して強制権を持てるので、何かにつけ便利ではないかと思う。
 しかし、福祉協議会の融資(住んでいる家を担保に生活費を生涯融資してもらえる)を受ける場合には、抵当に入っている物件では担保にならず融資は受けられないのだが・・・。
 
 弁護士はこのような話を一通りした後、最後に、「どんな方法を取るにしても、なんとか叔父さん自身に弁護士のところへ出向かせることはできないのか?」と言ったのだそうだ。
 結局はそこからしか始まらないということかぁ・・・・。
 
 とりあえず、ダンナは今回相談した結果を叔父に報告することにした。
 抵当権の件はさておいても、負債については、自己破産しか方法がないと思い込んで専門家への相談を拒んでいる叔父に、もっといろいろな対策があることを伝えてみようと思ったのだ。

 ところが、「弁護士」という言葉を出しただけで叔父は激しい拒絶反応を示して当惑したらしい。
「あと二回送金してくれれば、あとは自分でなんとかしようと思っていたのに、どうしてそんなことをするのかなぁ~」
 と、泣き声。
 
 前回の送金のとき、叔父は「あと二回で送金はお終いにして良い」と言ってきているのだ。
 私はバンザイ三唱したのだが、しかしよく考えれば依然として借金は残っているはず。ダンナがそのことをもう一度確認すると、じつは「{生活費}としての金銭支援はいらないが、借金の部分は援助してほしい」という意味だったことが判明。
 月々の返済にダンナからの送金のほとんどを回しているはずだから、「生活費」分を削ったからと言って、送金総額にはほとんど変わりはない。
 それでも、叔父がわざわざそんなことを言った理由は、「生活費」はもらわないのだから、叔父のゴミ屋敷生活をあれこれ詮索したり干渉したりしないでくれってことなのだ。

 しかし、この件で、少しだけ良いことがあった。
 返済金額分だけを送金するのなら、今までにもまして負債金額を明らかにする必要があるでしょ!とダンナに強く言われていたので、ようやくクレジット会社の明細書を送って来たのだ。
 お茶か何かをこぼしたらしい痕跡があるヨレヨレのコピーだったが、とりあえず現在契約している会社の3社がわかった。でもどうやらそれがすべてではなく、他にもある気配。なぜなら、以前言っていた金額とあまりにも違い過ぎる。
 でも、これが何かの糸口になるのでは?と、かすかな希望を持った。

 とにかく、叔父はあと二回送金してくれれば月々の返済額も落ち着くのだから、この期に及んで他人(弁護士など)に相談してほしくはなかったと言うのである。
 でも「自分でなんとかする」と言っても、結局はダンナの送金によるのだから「自分でなんとか」など全然できないワケで、何かものすごく矛盾しているんだが・・・
 名目ある送金ではなく、乞うて借りた金でやりくりしている、というのが叔父自身の認識なので、その意味で「自分でなんとか」しているつもりになっているのだろう。

 とにかく、もはやダンナには無駄金を使えるような財力はないし、きちんとした方法を採ることがお互いのために良いということ、自己破産以外にもいろいろな方策があることを根気よく説明し、叔父自身が弁護士に相談してみるべきだということを勧めた。
 
 一時間以上にわたる説得で、ようやく叔父は、とにかく無料法律相談には行くと言ったらしい。
 が、その後に
「行くとなったら、いろいろと大変な準備もあるので、明日すぐ25万円送金してくれないか?」
 と、ぬかしおったのだった!!

 もはや、蛇口をひねると水が出るってのと同じ感覚だ。


 つくづく、人にお金を貸すというのは、いろいろなものを破壊してゆく行為だと思う。
 たとえそれが信頼や親愛や好意に基づいたものだとしても、結果としてそのすべてがことごとく無に帰する。どんな関係の人と、どんな理由で貸し借りが行われたとしても、最後に残るのは「貸し借り」をしたという事実だけ。「関係」も「理由」も消えてなくなり、債権者と債務者でしかなくなるのだ。
 世間では多くの場合、借りる側より貸す側のほうにダーティなイメージが付いて回るものだが、パーソナルなレベルでは、貸さなければ借りたい人に罵詈雑言を浴びせられ、そのあげく悪者扱いされ、貸したら貸したで、返済を迫れば借りた人からまたののしられて悪者扱い。ダーティなのはどっち?
 結局、金に限らず何かを「借りる」「貸す」ということが必要な状況になった時点で、その人たちの関係は壊れる運命だということだ。
 さらには、周りの人から「甘い顔をするからつけ込まれる、お前が悪いのだ」と責められて、貸す側はどんどん孤独になってゆく。
 そうして、暗い渕に追いつめられるのは、借りた側ではなく、常に貸した側なのだ。

 ははぁ。
 今更ながら気がついたが、人間関係を維持するために金融会社というものがあるワケなんだなぁ。


 「明日送金してくれ」と言われ、さすがのダンナも、先月の送金をしたばかりだし給料日もまだまだ先だし、今回ばかりは拒否したのだが、そのせいで、台風接近中の夜中何度も何度も電話が鳴った。

 ダンナからの送金は一円単位まで使い道が決まっているので、予定外の行動は出来ない。バス代さえないのだと言う。それに、無料相談と言ってももしかすると何か料金がかかるかもしれないし、ある程度のお金を持っていかないと不安でたまらない、と叔父は訴える。

 結局根負けして、朝になってすぐ銀行へ行って、少額だけ送金した。
 災害のための特別休暇で職場が休みになるくらいの暴風雨だというのに、そんな中、キャッシュカードだけ手にして出かけていくダンナは、なんだか何かに取り憑かれた人のように見えた。

「もう一銭もないって言い張ればいいっしょ」と私は言ったが、ダンナはウソがつけない人。
 少しでも送れるお金があるうちは、送れないとは言えないのだ。
「金さえあれば弁護士のところへ行くと言っているのだから・・・」とダンナ。

 ダンナよ・・・・君のその「いい人」ぶりが、叔父をますますダメ人間にしてゆくんだよ。
 そしてそれは、叔父に対して罪を犯しているということでもあるんだよ。

 申し訳ないが、私は、叔父が弁護士に相談に行くなどとはみじんも信じていない。

 私は今、私のための弁護士を捜そうと思っている。
 ダンナの給料が夫婦の共有財産と見なされるなら、私の財産も侵されているということになる。それに連日の電話攻撃で精神的苦痛も味わっている。これだけで充分に叔父を訴えることができるんじゃないかい?もしくは、叔父の要求に屈してしまうダンナを訴えるべきか?
 いや、それよりも、さっさと離婚してしまったほうが話が早いか?
 ・・・・・迷うところだ。

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2005/09/05

ゴミ屋敷を包囲せよ~9

 台風14号接近中。昨夜から風がすごい。
 これが過ぎたら一気に秋になりそうだ。

 さて、今日はようやくダンナが無料法律相談に行く。
 相談は午後からだけど、早朝に予約を入れていた。限定8人で相談時間はたったの20分だそうだ。
 電話であらかじめ相談内容の概要を伝えると、受付担当者が法的な処置が必要な部分とそうでない部分(市役所の市民相談に持っていく範囲)に整理してくれた様子。

 ダンナは私が相談に行くことを期待していたようだけど、私が行けばダラダラとグチを並べて20分過ごしてしまいそうなので、こういうことはダンナのほうが適任だろう。
 それに私の希望はたったひとつ「ゴミ屋敷叔父を逮捕してくれ!」
 そして「今後一切の縁を切りたい」ってことだから、もはやダンナの意図とは大きくかけ離れてしまっている。


 さて、昨日の早朝(am5:30頃)ゴミ屋敷叔父から電話があった。
「今からメガネ屋に行くから」とのこと。
 なんでわざわざそんなことを報告するのかと言えば、これは「だから金がかかる」という宣言。
 それと「お出かけするので、くたびれて体調が悪くなるゾ」という予告でもある。

 この人、「メガネ」に対して偏執狂とも言えるほどのこだわりがある。

 その始まりは、さかのぼること約50年。
 ダンナ父もゴミ屋敷叔父も共にメガネをかけているのだが、ある日、叔父はダンナ父にメガネを貸してやったのだそう。
「とても困っているようだったから、ボクの一番大切なメガネを貸してやったんだよ。でもアイツはソレを返してくれないんだ」
 と、叔父は、今だに泣きながら訴える。

 その当時、メガネは高価で貴重品だったのだろうとは思うのだが、叔父がダンナ父に貸したというメガネは特に、ものすごく高価で叔父の目にとても合っているものだったのだと言う。
 それを失った叔父は、以来、自分に合うメガネを探し求めて人生をさまよい続ける。
 おそらく累計すればもう何百というメガネを買っているのだが、どれも、ダンナ父に貸した「あのメガネ」ほど良いものに巡り会うことはない。

 「あのメガネ」を返してもらえなかったことで、叔父は目ばかりでなく体のあちこちがボロボロになり、金も失い、人生のすべてが狂ってしまった。

 叔父は、相続税が払えないために東京の家を売却したダンナ父の判断を恨み、そのせいで自分は財産を失ったと信じているが、それ以上にメガネの遺恨が大きく、叔父のすべての憎悪はメガネの一件に帰結してゆく。
 ダンナ父の存命中、二人は会うたびにメガネのことでケンカをしていた。メガネの話でエキサイトすると、病弱なはずの叔父がこのときばかりは猛烈な勢いで、ダンナ父の胸ぐらをつかみ、殴りかかって行くのだ。そのエネルギーはものすごいもので、その根源を思うと、言いしれぬ不気味さで背筋が寒くなった。

 しかし生前にダンナ父から聞いたところによると、叔父からメガネを借りた記憶など一切ないのだそうだ。

 ダンナ父が亡くなった直後、葬式にさえ来なかった叔父が「メガネを返して欲しい」と言ってダンナ実家へやってきた。
「アイツはずっとウソをついている。どこかにメガネを隠しているはずだ」
 もし仮りにメガネを借りたことが事実だとしても、50年も前のものが残っている可能性は低いと思うのだが、ダンナ母は「これでこの人の気が済むなら」と、叔父の好きなように家捜しさせた。
 しかし、当然ながら叔父が求めるメガネは出てはこなかった。

 今でも、叔父の不遇の要因はことごとくメガネらしい。

「ダメなメガネ屋だったので目に合わない」
「メガネの調子が悪いので体調が悪い」
「おばあちゃんの看病で疲れて目が見えなくなった。失明するかもしれないと思うとドキドキするから新しいメガネを買いたい」
「ころんでメガネを壊した」
「メガネを壊してはいけないので、あまり動けない」
「メガネを壊してはいけないと思うとドキドキして体が悪くなる」

 とにかく、「メガネ」というファクターが加わると、その月の送金請求額は10万円跳ね上がる。

「そんなに高いメガネなの?」
 とダンナ。
「ボクのは特別なので高いんだ」
「じゃあ、メガネの領収証おくってよ」
「いや、そういうものはシュレッダーにかけてしまった」
(注:持ってませんから~!!)

「じゃあ、メガネ屋の名前教えてよ。電話して値段聞くから」
 そこまで言ったら、一度渋々送ってきたことがあったが、その額は3万円。
「この時はたまたま安く済んだ」とのこと。

「一度ちゃんと眼科の病院で診てもらったほうが良いんじゃないでしょうか?」
 と言ってみたことがある。
「ああ、眼科には一度行った」
「どこの?」
「○○(以前住んでいた都内の住所の近く)だけど、もう医者も年寄りだからよくわからないんだ」
 ・・・・・・・あのぉ、それは一体、何年前のことですか~?

 そういえばずっと以前、歯医者に行く必要が生じたが、子供の頃からのかかりつけの歯医者でなければならないからと言って、わざわざ横浜郊外の家から都内の旧居住地まで電車を乗り継いで2時間ほどかけて行ったことがあった。
 その頃まだ祖母が生きていて、二人とも歯が悪かったので連れだって行ったそうだが、駅の階段の上り下り、電車の乗り継ぎ、聞こえにくいアナウンス、雑踏、喧噪、10年あまりですっかり様変わりした街・・・・その中を、二人でお互いの身を支え合って必死で歩いたという話は、さながら「八甲田山・死の彷徨」。
 おまけに、ようやくたどり着いた歯医者は、すでにヨボヨボで目も悪くロクな治療はしてくれなかった(息子に代替わりしていたのだが、どうやら強引に先代に治療を頼んだ様子)。
 他の医者には絶対診てもらいたくないので、結局それ以来歯医者には行っていない。

 そんなワケで眼科医についても、頑なに昔からのかかりつけに固執する。
 叔父は74歳だから、子供のころからのかかりつけと言えば、当時どんなに若い医者だったとして90歳は越えてるんじゃないのかい?
 ・・・・私なら怖くて行けない。
 この人は基本的に医者嫌いだから、「昔から知ってる医者じゃないとイヤだ」というのも医者に行かない理由のひとつになるんだがな。

 まあ、とにかくそんなこんなで、いろいろな歴史と思いが重なって、メガネは叔父にとって何か絶大なモノで、それを買うことは彼の心の安らぎであるらしい。

 私も目が悪くて中学の時からメガネを愛用している。だからメガネの不具合や、無くしたり壊れたりすると困ることもよくわかる。
 メガネ使用者なら経験あるだろうが、メガネ屋での検査で「赤と緑、どちらがくっきり見えますか?」とか聞かれても判断がつかないことがよくある。
 なんとなく緑かな?と思ってそう答えると「ええ?緑ですかぁ?」とかリアクションされ、小心な私は「あっ・・いや、やっぱり赤です、赤。ははは・・・」と言ってしまったりして、その結果、大枚はたいて作ったメガネなのに、なんだか目に合わないという時も、ままあるワケだ。

 あの叔父が毎回こんな煩雑な検査をしてメガネを作っているとは考えづらく、私が想像するには、簡単に購入できる既成の老眼鏡を買っているのではないのかと思うのだが、とにかくいずれにしても、叔父にとってのメガネは、「メガネ」というもの以上の意味を持っているのは確かだ。

 それと、メガネを新しくするたびに、いちいち自分でネジの調節をしなければならないという話をしていた。
 おもわず興味がわいて、
「え?どこをどんなふうに調節するんですか?」
 と聞いてみると
「ボクにしかできない特殊な調節なんだ。これはどんなメガネ屋でも出来ないんだ」
 とのこと。

 うーん。一体どんなふうにするんだろう・・・・・
 ものすごく気になる。
 

 ついさっき、これを書いている最中に、また電話がきた。

「このあいだ○○(ダンナ)君が、市の福祉の援助を受けるとかいう話してたでしょ。でもそんなことになったら、自由にメガネが買えなくなるからボク困るんだよ・・・」

 うう~っ。
 ゴミ屋敷のゴミの15パーセントくらいは「メガネ」かもしれんな。 

2005/09/03

胸きゅん・・・ハワイに行けなかった町長さん

 ミシンを新調して作業も順調。
 幸い営業マンがイケメンではなかったので、予算通り、無駄な刺繍機能などが付いていない実直なものを購入することができた。またこの先少なくても15年は使い続けて、元を取るために稼ぐぞ~。
 とは言いながら忙中閑あり・・・いやホントは本業のほうが切羽詰まってきて閑などないはずだが、たまにフッと集中力が途切れて、夢遊病のようにブログに向かってしまう。

 さて、前回ポルトガルへ行きたいという記事を書いていて、急に蘇ってきた記憶がある。
 「町長さん」と呼ばれていた、ウチの親戚のジイサンの話・・・・・。

 この人は実際の町長でも何でもなく、何度も町長選に無謀な立候補をしたことがあることから、こう呼ばれるようになっただけの人である。
 「町長さん」は私の父の叔父にあたる人で、すでに故人であるが、今進行中のゴミ屋敷住人のダンナ叔父にも通じる、社会からつまはじきにされ理不尽に不当な扱いを受けていると思い込んで世の中への不信と悪意に凝り固まった人だった。
 この人がそんなふうになった根本原因のひとつが、幼い頃に養子に出されたこと。詳しい事情はよく知らないが、酔っぱらって暴れる時によくそのことを言っていた。

 私の父方の祖父には7人くらい兄弟姉妹がいたが、誰もが貧しかった時代、田舎では跡取り以外の兄弟は口減らしのために里子に出されることが多かったのだろう。四男坊だった町長さんも、そうして他家の里子になった。
 本人が語っていたところによると、彼のすぐ上の兄がお金のために勝手に養子縁組をした、つまり「売られた」のだそう。関係者全員が鬼籍に入った今となっては詳しい真相は闇の中だが、町長さんはこのことを死ぬまで根に持っていて、自分を売った張本人の兄は当然のこと、他の兄弟たちのことも恨んでいたし、そこから波及して社会そのものを嫌悪していた。

 町長さんの長兄(私の祖父)は、長い間町議を努めていたが、そんなことも彼の社会不信を助長したことだろう。
 ただし、彼は社会への不信を、世の中に背を向けることではなく、むしろ好戦的な方法で表現した。
「あんなヤツが町会議員なんてやってたら世の中悪くなる一方だ。俺が世直ししてやる!」ってことで、ある時、町長に立候補したのである。

 選挙資金など皆無だし(もちろんポリシーもマニフェストもヘッタクレもない)アル中・酒乱のジジイなど支持する人は当然いなく、自作のたすきと拡声器を持ち歩いて徒歩(たまにヒッチハイク)での選挙活動だった。

 のどかな時代だったのだと思う。
 町長さんが立候補した選挙戦中、こんなことがあった。
「○○でございま~す!住み良い町作りに邁進しま~す!よろしくお願いしま~す!」
 無駄なボリュームでがなりながらやってくる選挙カーの叫びが突然とぎれ、ガタガタと不審な音を立てピーッとハレーションを起こし、しばらくの静寂の後、おもむろに別の声が聞こえてくる。
「××(町長さん)でございます、今○○さんの車に乗せてもらいました」
 なんと町長さん、他人の選挙カーをジャックしたのだった。
 それからは一台の選挙カーから二人の立候補者の名が連呼されていた。ライバルとさえ見なしていないから、こんな町長さんに他の候補者はとても寛大だったのだろう。
 当時は今以上のガジガジに保守的な田舎だったので失笑を買っただけで終わったが、今ならこんな面白い候補者には無党派層のひやかし票が集まりそうな気がする。

 と、まあ、こんなことを幾度か繰り返し、あだ名だけは目出度く「町長さん」になった町長さん。
 晩年近くなっても鼻息だけは衰えず、いろいろなところで騒動を起こしていたが、それを収めるのが、なぜかウチの父なのだった。

 甥ではあるが戸籍上は他人であるウチの父を、町長さんはなぜか子供の頃から可愛がっていたらしい。父も面倒見の良い人だったので、町長さんの不良の一人息子を自分が経営する会社に雇い入れたりしていた。そんな関係だったので、町長さんはよくウチへ遊びにきた。
 ふらりとやって来て、安焼酎くさい息を吐きながら、独自の社会批判やら親戚の悪口やらを並べ日長一日居座っている。
 当然父は仕事で不在だし、母も父の会社の事務をしていたので留守が多く、結局はそんな町長さんの相手をさせられるのは、まだ小学低学年だった私である。

 思えば、私の「困ったちゃんな人々」に対する忍耐力はこの頃に培われたのかもしれないが、出来もしない将棋盤の前に座らされ、昼に出前してもらうザル蕎麦やカツ丼だけを心の支えに、町長さんの長大な演説をたった一人で辛抱強く拝聴した。
 「町長さんが来ても絶対酒を飲ませてはイケナイ」と母から強く言われていたが、父が飲まない人だったので、酒飲みがめずらしかった私は、面白がってこっそり酒を出し、町長さんが酔っぱらう様子を観察したりもしていた。
 そんなワケでますます入り浸られてしまうのだが、酒乱だったはずの町長さんも私を相手に飲むときにはさほど乱れることもなく(かと言って楽しそうでもなかったが)、私が学校で流行っていたショボい手品を披露したりするのを、笑いもせず淡々と見てくれた。

 そんなある日、町長さんが町内の老人会の旅行でハワイに行くことになったのである。
 こんな人が団体行動など出来るはずはないのだが、そんな人並みの楽しみを享受する気持ちになった町長さんに、ウチの親は大いに感心して旅行支度などの世話をやき、前日には町長さんのために昼間から風呂を沸かし、新しい下着も用意して送り出してやった。
 その夜、夕食の席で母と父が
「町長さん、ちゃんと行けるんだろか?向こうで問題おこさないべか?」
「あんな人でも連れていってくれるって言うんだから、係りの人がなんとかしてくれるさ」
 などと話していたのを覚えている。
 
 ところが翌日、人の気配がして玄関に行くと、とっくの昔に日本を飛び立っているはずの町長さんが、小さなボストンバッグを下げて、ぼんやりと立っていた。

「金のないヤツは連れていってくれないんだとさ」
 町長さんは、吐き捨てるように言った。

 空港の集合場所までは行ったが、どうやらそこで断られたのらしい。
 金がなかったわけではない。
 おそらく酒くさい息に、警戒されたのだろう。
 そのまま旅行に参加していたら、ムテキさんのブログ「添乗員は見た!!」http://blogs.yahoo.co.jp/mutekisistersの「旅先の困ったちゃん」になるのは目に見えている。
 老人会の格安ツアーで、それでなくてもワケのわからない田舎の老人達を引率するわけだから、こんな一見して要注意オーラを放つアル中ジジイを、最初の段階で排除した添乗員の判断は賢明なものだったと言える。どんな理由で断ったのか、プロのワザに興味のあるところだが、どんな断られ方をしても町長さんにとっては屈辱でしかなかったろう。
 いつもの町長さんなら、こんな時には誰彼かまわず毒づいて暴れるところだが、はじめての海外旅行(のための集合)に萎縮したのか、何も言わずに引き下がったらしい。
 そして一人でトボトボ帰ってきたのだ。
 
 その足で、自宅ではなく私のウチへ来て、でも声もかけられずに無言で玄関先に佇んでいた町長さん。どれくらいの時間そこに居たのだろう。いつもよりも奇麗げなウールシャツと斜めに下げた貴重品ポシェットが、なんだかとても哀れだった。
 旅行準備をしてやった母への義理のつもりか、町長さんはとにかくその一言だけを告げて、家には上がらずに帰っていった。

 それが町長さんの姿を見た最後だった。
 それ以降は入院したとか引っ越したとかの噂は時々耳にしても、会うことはないまま歳月が流れ、記憶も薄れかけていた数年後に、亡くなったという話を聞いた。
 奇しくも、彼を売ったという兄の逝去と同じ年だった。




 
 
   
 
 

 

 

 
 

   
 
 


 

2005/09/01

ああ、憧れのポルトガル

 昨夜、縫い物をしている最中で突然ミシンが壊れた。ウンともスンとも言わなくなった。
思えばイケメン営業マンの押しに負けて衝動買いしてから早12年。購入を決めたとたんにイケメンは素っ気なくなって、その腹いせにせめて元を取ろうと散々酷使してきたからな~。そろそろ買い換えの時期なのかも。
 とりあえず、今朝AM9:00の営業開始を待って早々に修理屋に電話し、少し掃除をして、今は修理屋さんを待っているところ。またイケメンだったらどうしよう・・・

 それにしても、この間は冷蔵庫が突然壊れ、掃除機は今年初めに壊れ、今はアイロンも壊れかかってるし、どうやら家中の電化製品が一斉に寿命を迎えた様子。
 これらはつまり、今のダンナとの新生活をスタートしたときに購入した品々。歳月の流れをしみじみと感じる今日この頃だ。
 「他に買い換え必要なものはないか?」と見渡して、ふとダンナの姿に目がとまる・・・・秋近し。

 まあとにかく、そんなワケでミシンがないとホントに何もすることがなくて惚けている。
 主婦らしくヨン様の記者会見でも見るかな・・・。

 ヒマにまかせて、さっき久しぶりに古新聞や雑誌の整理をしていたら、ずいぶん前に送られてきたまま放置していた旅行会社のパンフレットが出てきて、見るともなく見ていると、秋のヨーロッパの風景写真が目に飛び込んだ。
 そして、もう次の瞬間には旅行したくてたまらなくなってしまった。

 じつは、私はポルトガルへ行きたい。
 スペイン語を習い始めてから、せっかくブラジルで覚えたポルトガル語を忘れつつある。
この二つの言語はとても良く似ているけど、似ているからこそどちらか一方を中途半端に知っているとやりづらい。脳の中に言語野が確立するほどポル語がしゃべれるわけではないので、別の言語を覚えようとするとポル語はどんどん消えて行く。
 最初の頃は、新しく覚えたスペ語の単語をいちいちポル語に置き換えてみたりしていたが、今はそんなクセもなくなった。 
 まあ、ポル語よりスペ語のほうが使える場所も多くて有益そうなので、それはそれで良いのだが、なんとなく淋しくはある。
 だから、まだかすかに記憶が残るうちにポルトガル語圏へ行っておきたいのだ。

 ブラジルにとって宗主国であるはずのポルトガルは、「田舎くさくてドンくさい国」としてブラジル人のジョークのネタにされていた。
 実際にポルトガル人がそうだということではなく、なんだかもうずっと昔からのスタンダードな笑いとして定着しているようで、「ポルトガル人が・・・」と始まっただけで笑いが起こるほどらしい。たとえば落語の「与太郎」みたいに、そいつの名前が出れば、これは笑い話ですよというサインで、「コイツは何かしでかしてくれるはず」と期待し、ほとんど条件反射で笑ってしまうようなものじゃないかと思う。ポルトガル人ネタのジョーク集まで出版されていた。

 では、その中からひとつ(それを読みこなすほどのポル語力はないので、口承伝達された話)。

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   一人のポルトガル人が大きなリュックを背負ってサンパウロ空港に降り立った。
   彼は素晴らしい携帯電話を持っていた。
   それはまだブラジルでも開発されていないコンパクトな腕時計タイプ。
   しかも通話の他に、電卓や時計などの機能も満載のすぐれモノ。
   その携帯電話を見た一人のブラジル人ビジネスマンが
   「すばらしい!!是非それを○○ドルで譲ってくれないか?」
   と言うと、ポルトガル人は
   「いいですよ」
   と、あっさりOK。
   ブラジル人は大喜びで、ポルトガル人から譲られたコンパクトで多機能な携帯電話を腕につけた。
   「ありがとう!こんな小型のものはブラジルにはない。大いに自慢できるし、仕事の役にも立つだ   ろう!」
   彼は代金を払い、礼を言って立ち去ろうとすると、ポルトガル人が大慌てで追いかけてきた。
   「ちょっと待って!バッテリーを忘れてますよ。このバッテリーがないと使えません」
   そう言って、ポルトガル人は背中に背負っていた重くて巨大なリュックを渡した・・・・。

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 これがポルトガル人。

 こんな感じの話がたくさんある。
 べつに全然ポルトガル人じゃなくてもいい話なんだが、ポルトガル人って言われると何とも言えない不思議な可笑しみが生まれる。

 あ、もしポルトガルのかたがコレを読んでいらしたらゴメンナサイ。
 でも悪意は全然なくて、純朴で生真面目で愛すべきキャラという感じなんですよ。

 そして、ブラジルでこういう話をたくさん聞かされた私は、いつしかポルトガルが憧れの国になったわけさ。

  ああ、行ってみたい・・・・・。