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2005/12/29

年末スペシャル!

このブログをお読みくださる数少ない皆様、もうみっつ寝るとお正月です。
大掃除は済みましたか?
年越しのご馳走、おせちの準備は万全ですか?
・・・・私はまったく何もしていません。

そんな私ですが、皆様への感謝をこめて2005年の最後にこんなものを大公開。

じつは私、友人と一緒に手作業で印刷・製本した絵本を自費出版しているんですが、その中の一冊をご紹介したいんでありマス。

セリフも解説もない、絵だけの絵本です。
でも、大切なメッセージが・・・・。
じっくりとお楽しみください。

 


     「Your colar」
 
         すべての恋する人たちと 恋を始める人たち
            そして、恋を終えた人たちへ

                        Presented by ここふじ

                
              

























            皆様、良いお年をお迎えください。
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2005/12/13

慰労金????

昨日、私宛に現金書留が届いた。
開けてみると札束が~っ!!

送り主はダンナ母。

じつは、私がポルトガルでシッコ漏らしそうになったりウ○コ踏んだりしていた間に、ダンナは彼の妹に電話していたらしい。
何をどう話したのか知らないが、帰国するとダンナ妹からメールが来ていた。

以下、メール内容

ここふじちゃん、おじさんが迷惑かけてごめんなさい。
兄さん、ここふじちゃん、二人とも苦労掛けてごめんね。憂欝で心も体もまいちゃうよね。
昨日みんなでママに会ったからその件を話したらその額に驚いてたよ。昨日はあんまり眠れなかったみたい。でも兄さんの家の事は知ってた方がいいみたいだし・・・。何でそんなに貸しちゃったの?って心配してたよ。
何としてもお金は返してもらわないと!家を売ればいいのに、住み続けるなんて甘い!って言ってたよ。体が無理と言っていても、不動産屋さんなんかちゃっちゃとやるわよ!!って。
ママがまた話を蒸し返すと兄さんも気分が悪いだろうから、メールで伝言してもらうけど、ここふじちゃんがポルトガルから帰ってきたら、ママの気持ちで○○万円をあなた達に送金させてって。
兄さんは要らないって言うと思うけど、もう、ここふじちゃんに申し訳なくてたまらないからって。
銀行だと記録に残るから、書留で小分けして送るとのことです。

私はというと、おじさんに住所も電話番号も教えてなくて、私はずるいな、と悩んでいます。でも教えたら電車やバスで1時間とはいえ、近いから全面的にこちらに来そうでお金以外のトラブルも恐いです。
ママも夫も、絶対に教えない方が良い、もう立派な大人なんだから放っておくべきだという意見です。
おじさんが元気なうちに家を売ってホームに入ってくれればいいのにな。
何年か後にもし入院とかしたら、保険に入っていたとしても、入院費用を立て替えなきゃいけないもん。そんなお金、みんな無いし。私がごはん作ったり介護とかするのかなぁ。やだよー!
ママや夫の両親をもちろん看るつもりなのに、おじさんもぉ?
絶対にホームに入ってもらいたいな。
兄さんも自分の老後資金なんだから早く返してもらわないとね。
本当にごめんね、おじさんの事を押しつけて。
やっぱり連絡先を教えたほうがいいか悩みます。
でも夫が反対だし。でもおじさんはいい大人だから自立してもらわないとね。年金で一人暮らしの72歳なんて何万人もいるよね。
大変な時に出産祝いをたくさん頂いてしまって、本当にありがとうございました。長くなりましたが、また連絡するね。


うむ?
ううーむ。
ううううーーーーーむ。

この内容から推察するに、ダンナはゴミ屋敷叔父の件を、私の精神状態に軸を置いて話したらしいナ。
なんか、私をネタにして問題の本質をぼやかされたようでイヤだが(私はそもそもの原因はダンナの優柔不断さにあると思ってるから)、みんなで私のことを気遣ってくれるのは有り難い。

どうやら、ダンナは私が突然一人でポルトガル旅行へ旅だったことを、「ここふじがキレた」と解釈したようだ。

たしかに唐突に思い立って唐突に決行した旅行だったから、ダンナへの当てつけと受け取ってもらってももちろん良いんだが、私にとっては本当はそんなに深い意味はないのだ。
でも、日頃ナーンにも考えていないように見える私が、一人で唐突に旅行などに出たのを見て、ダンナが勝手に叔父の件とからめて呵責を感じてくれるなら、それはそれで、まあ、悪いことではない。

ダンナ妹は、幼い頃から叔父の人格についてはイヤと言うくらい知っているし、ダンナが叔父に送金していたことも聞き及んではいたはず。
でも、今回その送金額の総額を聞いて驚き、初めてリアル感をもって叔父問題を直視したのだろう。
具体的な額面を目の当たりにしないと問題の深刻さを感知できない感覚にはもどかしさを覚えるが、まあ、自分に火の粉が及ばないうちは知らないフリを通していたい気持ちはわかる。
まあ、この件で私まで精神的に追いつめられたのだとようやく理解してくれたらしいから、それはそれで良しとしよう。

さて、ダンナ母である。
叔父問題そのものが、お金の問題だけではないことはわかっているはず。
私たちが受けた精神的苦痛も、お金でどうにかなるものではないことも。
たとえ、叔父のために無くした金額と同額のものをダンナ母がくれたとしても、そういうことが何かの解決になるとは思っていないだろう。
お金の問題ではない。お金が惜しくて叔父のことを疎んだりとやかく言っているワケではない(ホント。^^;)。
それは充分わかってくれているはず。
それでも、「ここふじさんに申し訳なくて申し訳なくて仕方ない。何もできない代わりに、せめてお小遣いをあげたいの」ってことなのだ。

はい。もらっておきます、有り難く。(^-^)へっへっへ・・・。
叔父について、また、叔父に対するダンナ家の人々の対応については、いろいろと思うところもあるのだが、そんなことをくどくどと語っても不毛な気持ちになるだけだし、ダンナ家の人々にとっては、私が叔父問題を「お金が惜しい」という論点だけで語る嫁であるほうがずっとわかりやすいのだ。
私という人間の心の機微をダンナにさえなかなか理解してもらえないと知った日から、私は「それならばいっそそういうヒトであろう」と決めたんだもんね。
だから、現金書留を見てにわかに機嫌が良くなるのさ、私。

ダンナ母も、ダンナ父との結婚当初から、ヘン人叔父と姑の存在に悩まされてきた。
そのせいで自律神経失調症にまでなった。
ダンナ母は、叔父の直接的敵意の対象であるダンナ父の生存中、私以上に嫌な思いを多々してきたはず。
それでも、グチも言わずヒステリーも起こさずに辛抱強く、表面上は明るく呑気な嫁を演じてきた。
考えてみれば、ダンナ母も私も、ダンナ家の男とたまたま結婚したがために、要らぬ苦労をしているワケだ。
今回の現金書留は、そのダンナ母の立場から、私への慰労を込めたお金ということだろう。

・・・・・それとも、私がマジでぶちキレて、離婚してやるーっ!と言い出さないための撒き餌?

まあ、どっちでもイイが。
いずれにしろ、お金はさっさとフトコロへ入れたもんね~~。

ところで、「おじさんに住所も電話番号も教えてなくて、私はずるい」と悩むダンナ妹の様子に、密かに胸が痛い私。
「とっくの昔に私が教えておきましたから~ぁ」って告白すべきか・・・
でも、逡巡している間に、妹から「IP電話にしたので電話番号変わりました」と昨日連絡があった。
・・・・・・・ほっ(^^;A

お小遣いに添えられたダンナ母の手紙には、「これで美味しいものでも食べてネ」
そして「ウチなんか電話をナンバーディスプレイにしてからとっても安心よ~」と書いてる。

ははは・・・おかあさま。
この人のこと、結構好きデス。
2005/12/11

みかん狩り


これ、ぜ~んぶミカンです。

ダンナが知り合いのミカン畑で採ってきたもの。
いちばん巨大なのはバレーボールくらいの大きさ、いちばん小さいのはピンポン玉くらい。

このミカン畑の所有者は、本業はある大学の工学部教授なんだけど、自宅近所のミカン農家が廃業し広大なミカン畑が放置されることになった時、里山が荒廃するのを憂いて、思わず私財を投じて買い入れてしまったそう。
以来、本業の傍ら、家族総出で何千本だかのミカンの木を管理することに。
ひとつひとつの実に袋がけの作業があったり、イノシシなどの獣害に遭ったりで、大変そうではあるけど、なかなか楽しんでいる様子。

収穫して商品として出荷もするけど、今回みたいに知り合いを集めて収穫体験をさせてくれたり、花の季節は趣味でミツバチを飼育している人(この人も凄い!)が、このミカン畑に蜂箱を置かせてもらって美味しいハチミツも採取した。
農作物の獣害を調査している動物学者は、自動撮影装置を設置させてもらう予定。
いろいろな人がいろいろな方法で関わることのできるミカン畑なのだ。

この先、手が回らない畑には樫などの広葉樹を植えて、自然の森に返す予定とのこと。
そうなったら、自然体験ができる森になる。

教授の里山風景はこれからどんどん素敵になるはず。

ミカンはどれも夢のように甘くて美味しかった。

2005/12/10

四日目 ファド。そして、さよならポルトガル

とうとう、この旅最後のプログラム・・・ファドを聴きに行く。

ファドハウスでの食事代やショー・チャージは事前に支払ってあるし、翌日は早朝にリスボンを発つので、もはや現金は必要ない。
そう思って、威勢良くお金を使い果たした。

これがこの夜の持ち金すべて。小銭ばっか・・・。


↑それと、お世話になった「一日乗車券」
ただの厚紙みたいだけど、ちゃんと地下鉄の自動改札も通るし、料金をチャージすることもできる。

↓ちなみに、地下鉄の改札はこんなかんじ。


改札を正しく通過すると、ガラスの扉が開く。

しかし、ここで気が付いた。
考えてみれば、ファドハウスがある場所は、夜は治安上危険な地区なので、タクシーで行かなくちゃイケナイのだった。
そう・・・タクシー代を忘れていたワケさ。

再び苦悶・・・金がなーい!!!
仕方なく、ホテルのフロントで虎の子の5000円を両替。ハァ~。

さて、ほんの少しだけドレスアップし、買ったばかりのブーツを履き、いざ出発!
最後の夜だと思うとなんだか淋しくて、タクシーの車窓から街の写真を撮りまくった。










予約したファドハウスは、ホントに、見るからに危なそうな裏通りにあった。
でも、風情がある下町の坂道の途中。
ま、一人で来たら絶対迷うな。

タクシーを降りると、ネクタイ姿の白髪のオジサンが慇懃にお出迎え。
ブリティッシュな英語だけど聞きづらかったので、「ポルトゲスでしゃべってね」と言ったら、なぜかいきなり態度が急変、フランクなお友達モードに・・・。

こじんまりした店で天井が高くドーム型。店内の灯りはテーブルのロウソクとわずかな照明だけ。
うんワ~ァ、ゾクゾクするぞっ。

しかし、結構寒い。
肩に羽織れば少しオシャレに見えるかしら?と思って、寒さ対策もかねた大きめのショールを持っていたのに、ホテルに忘れてきた。
だから食事の間中、2980円のユニクロの上着を羽織るハメに・・・・・カッコわるっ!
しかも、この日のために普段はつけない派手目の色の口紅も持ってきたのに、化粧直しさえしてこなかった。
ばか!ばか!ばか!
こんなことなら、べつに犬フン付き靴でも良かったじゃんか~~っ!

・・・まあ、こんなもんだよな、私の人生なんて(-_-)

すでに店内には、英語圏からの観光客らしき客が3組くらい、地元の人らしき中年の男女グループが2組、席についていた。
日本人、しかも、女一人の客なんて私だけ。
うっ・・・さすがに淋しいゾ。

前菜を食べ終わったあたりで、急に照明が真っ赤になり、食事を出すキッチンの窓も閉じられ、それまで奥の席でお酒のんでたジイサンが、おもむろにギターを抱えた。
そう、彼こそが、この店の経営者でもあり、往年のギタリストマリオ・パシェーコだったのだ!

歌い手は太ってもいないし、オバサンでもなく、意外なほど若くて奇麗な女性。
どこか他の店で一仕事を終えてきたという感じで、慌ただしく駆け込んできて、まずマリオともう一人のギタリストに挨拶のキスをする。

で、一呼吸おいて、おもむろに始まり始まり・・・なワケだ。




んがっっ!あなどってはイカン!

どきゅーーーーーーーーーーーんん!!
刺さりましたよ、胸にっっっっ。

ま、音楽にまったく造詣のない私なので、これ以上は語れませんのですが。。。(T_T)
ネエサンの見てくれからは想像できない、太く重々しい深い声。
黒いショールの房を切なげに握りしめ、ナントカ~カントカ~ポルトガウ~♪って・・・・。
ああ・・・・・。
これがファドなのね~。

面白かったのは、歌い出す前に歌手のネエサンがいちいちギタリストに曲名を耳打ちすること。
打ち合わせなしのぶっつけ本番らしい。

もっと面白かったのは、地元客の中年グループが、歌に合わせて勝手にコーラスをすること!!
その光景はまるで、古き良き時代の歌声喫茶(リアルタイムでは知りません、念のため)。
それもまた良い声だった。
オバサン客3人がひとつのパートをまるまる歌ったり、掛け合いのように歌手と交互に歌ったり、つまり客と歌手とのセッション。
いいなあ~。みんな気持ち良さそう。
はあ~、これがファドなのね~(再び)。

それにしてもポルトガル・ギター。
形も不思議だけど、音も不思議。
張りのある明るい音だけど、ひとつの音が同時に二つの音に聞こえる。
一方は重く地を這うように響いてきて、もう一方は上の方から降り注ぐように響いてくる。
んん~。口ではうまく説明できないなぁ。
天井がドーム型なのにも影響するのか?

一人の歌手が5曲くらい歌うと、何事もなかったように照明が元にもどり、マリオ・バシェーコは席についてただの飲んべえジイサンになり、キッチンの窓が開き、控えめな喧噪が始まり、ウエイターが歩き回り次の料理や飲み物が運ばれてくる。

それを三回繰り返し、歌手も3人入れ替わったところで、食事も終わったし、眠くなってきたので帰ることに・・・・。
タクシーを待っている間、店のオジサンたちと話しながら時間をつぶした。

「どこでポルトガル語を覚えたの?ブラジルに住んでたの?」
「え?ブラジルってわかる?」
「わかるよーっ」
 へえ・・・そうなんだ。

「もっとたくさん話したら上達するよ」って言われた。

・・・でも、この旅は、ポル語にサヨナラするための旅でもあるんだ。
ポル語を中途半端に知ってるお陰でスペイン語が頭に入らない。
この旅で思い切りポル語をしゃべって未練(なのか?)を断ち切り、これからはスペ語修得に邁進するのさ!・・・・オジサン、今度来るときにはスペイン語でしゃべろうぜ。
↑もちろん、こんな難しい話はできなかったけどね。

また次の店へ行くという三人目の歌手ともちょっと話し、彼女のサイン入りのCDを買った。

隣の席に座っていたイギリス人のカップルも帰り支度をして出てきた。
男の人が、リチャード・ギア似の男前だったのに、今夜口説こうとしていたらしい連れの女性より先に酔ってしまい、最後のほうは居眠りしちゃったりしてちょっと哀れだった。

タクシーが着いた時には、外はますます寒さが増して、フロントガラスが曇っていた。
オレンジ色の街灯に照らされた狭く複雑な坂道を、ぐるんぐるん走りながら帰った。

なんだか、幸せな夜だった。

ただ、この店の料理はちょっと・・・・・。
バカリャウのオーブン焼きだったんだが、はっきり言ってマズイっ。
かなり残してしまった。
ウエイターに「気に入らなかったのか?」ってやっぱり聞かれた。
隣の人も料理を残していて、正直に「マズイ」って言っていた様子なので、私も真似した。
ごめんね。だってマズイんだもーん。
でも大丈夫、店の人は全然気にしてませんから。(ちょっとくらい気にしてクダサイ・・・(-_-;))

深夜0時を過ぎてホテルへ戻り、とにかく寝た。

翌日は6時に空港へ出発。
ホテルの人がお弁当を持たせてくれた。


ポルトガル最後の食事だ。
ありがとヨ!

乗り換えのフランクフルトまで、ポルトガル航空で行った。
座席シートが、昔のバスみたいなビニール製で、尻が冷たかった。

さよなら、ポルトガル。
2005/12/09

四日目・午後から夕暮れ編・・・ 買い物三昧


昔ものすごく治安の悪い国に住んでいた経験から、ヤバそうな人に対する感知度がけっこう高い私。
上の写真は、人通りの少ない道でそんな人とすれちがう瞬間に、とっさに逃げ込んだ教会。
入ったとたん、正面のマリア様の彫像の美しさに圧倒され、体の力が抜けた。
思わず、40セントのロウソクを奉納(?)したデス。

あぁっ!でも教会入り口の足マットで靴裏の犬フンを拭かせて頂きましたッス。
ゴメンナサイ。。。(>_<)

さて、ブーツを買ったことで、お買い物衝動が再熱。
さあ、行くぞ~~!!

まず、ダニーへのお土産。
学生用の教材は見つからなかったので、旅行者向けのスペイン語短期修得用の本を買ってみた。
たまたま入った小さな本屋のお兄さんが、必死になって探してくれたので、買わないワケにはいけなくなった・・・情にヨワイ私。
自分用に、ポル語→スペ語のミニサイズ辞典も買ったじょ。



小さな、手描きアズレージョの店を発見。
馬好きの友人へ、タイルを一枚。


馬の絵のタイルは数枚あったけど、一番良い顔のが欲しかったので、他のタイルと組み合わせて壁に飾ってあったのをはずしてもらった。

紅茶好きの姑と友人へは紅茶入れ。
絵柄は印刷だけど、裏に聖書の詩篇の中の一節が書かれていて、それに由来する絵が。
7種類くらいの絵柄があって、選ぶのに迷う。


まるで貴重な薬草でも入れるような入れ物。
昔お茶は高価でめずらしいものだったから、お茶の入れ物や道具には凝ったものが多い。
ちなみに、ポルトガルのお茶文化は大航海時代に中国から入ってきたもの。
だからポル語でお茶のことは「Cha」(「しゃぁ」と発音)と言う。
スペイン語では「Te」(「て」と発音)。←こっちはイギリス経由で入ってきたんだろうね。

タオル類の質が良かったので、デザインがカワイイのを数枚購入。


陶器をくるんで持ち帰るのにも便利だし、お土産にもなる。

スーパーマーケットでもお買い物。
イワシのペーストが美味しかったので大量買い。


ナッツ類はブラジル原産。
どのメーカーのにも「ピリピリ味」というのがあったんだけど・・・。
材料の表示にも「カシューナッツ・塩・ピリピリ・・・」としか書かれておらず、唐辛子でもないようだし、ピリピリの正体が気になって買ってみた。
実際食べてみると、たしかに唐辛子ともコショウとも違うピリピリ感が・・・。なんだろう???

お酒を買いたかったけど、ラベル(下戸なのでラベルデザインで選ぶのサ)が可愛いのはどれもイタリア製。
酒も売っているこぎれいなカフェで、昼食代わりのおやつ。


タマゴとほうれん草のココット・パイ。
ここのコーヒーは美味しかった。


荷物はだんだん重くなってきたけど、そのまま鉄道でオリエンテ駅にあるヴァスコ・ダ・ガマショッピングセンターまで足をのばしてみた。
オヨヨ~近未来的な建物だ。


コロンボショッピングセンターよりはこじんまりしている。



1998年に開催されたリスボン万博会場の跡地で、ここの「国際公園」には大きな水族館もあるんだけど、荷物が重かったので見なかった。
これはショッピングセンター横にあるホテル。帆船のイメージ?



海風が気持ち良いので、おやつタイム。



ふと見ると、海の上を↓ロープウェイが横切っていく。


うぉっ!アレに乗りたいっ!!と思って追いかけてみたけど、乗り口が遠くて断念・・・。
(ロープウェイの下に映っているのは全長18kmもあるヴァスコダガマ橋)

オリエンテ駅の入り口でイベントをやっていて、世界各国の名産品の屋台が出ていた。
ブラジルの屋台もあったので、撮影・・・・


ところが、ここでデジカメの調子が悪くなる。
スライド式のレンズカバーがうまく開かず、画面に影が入ってしまう・・・。

しかし、デジカメを逆さまに持って写すと、重力でカバーが下がり、うまく撮影できることを発見。
したがって、これ以降の写真は、すべて逆さまです。



ファドハウスへ行く前に、一度ホテルへ戻る。
途中、量り売りのサクランボとチーズ揚げ(?)を買った。
夕食までのつなぎ。

さあ!お着替えして夜の街へ繰り出すのだ~~ぁぁぁ!!!
2005/12/08

四日目・日中編・・・ ここふじ「運」が付く

さてさて、四日目。
翌日は早朝に出発してしまうので、行動日としてはこれが最後の日。

本当は初日に行きそびれたシントラのオモチャ博物館や、国立古美術館へもう一度行っておきたい気持ちもないではないが、お土産も買わなくちゃいけないし、日中は中心街をうろつくことにした。

本日も晴天なり。
天気予報どうなってんじゃ?連日大ハズレ。

そういうことで、やってきましたリスボンの中心街。
地下鉄でロシオ駅まで行き、ロシオ広場からお買い物&散策スタートなのだ。
ワクワク・るんるん・・・・

めちゃ甘そうなお店。
一口大のお菓子ひとつひとつが手作り。



これが、ポルトガル名物バカリャウ
タラの他にもいろいろな魚の干物が・・・。



そういえば、ダニーに頼まれていた「ポルトガル人向けスペイン語教材」(世界各国の教材をコレクションしているらしい)も探さなくちゃ。

それに、何か、これぞポルトガル!っていうような観光土産も買いたいし・・・・。

↓バイシャ(下町)へ続く道。坂の多い街なのだ。




ところで、じつはこの日の夜、ポルトガルが世界に誇る伝統音楽ファドを聴くことになっているのだった~っ!(^O^)/

ファドを聴きながら食事ができるファドハウスのひとつを、出発前に日本の旅行会社を通じて予約してもらった。
観光客向けのおざなりな店だったらガッカリだな~と思ったけど、店の経営者がファドの有名なギタリストだということなので、まあ大失敗ってことはないだろうと期待。

それより、一応高級店として名を馳せる店なので、少しはドレスアップしなくちゃ
荷物にならない程度のキレイ目のカットソーとパンツは持って行っていたのだが、靴は思いっきりカジュアル!
かさばるので靴はあえて持たなかった。
どうせ座ってしまったら見えないし・・・とか思って。

でも、考えてみればポルトガルの有名な名産品のひとつが革製品。
たしかに、革製品や靴の専門店が多かった。

そうか!靴を現地調達するという手がある。

・・・ふふ、靴だけでなく、出来ればおしゃれな皮ジャケットなども欲しいな~。
もっと興に乗ってきたら、つま先から頭の先まで現地調達して、キメキメでレストラン行っちゃおうかな~(*^_^*)なんつぅことまで、密かに考えはじめていた。



↑クリスマスも近いので服屋のウインドウにはパーティー用のものが目に付く。
普通の人でも、マジでこんなん着るんだナア・・・。

しかしなぁ・・・ちょっと高級そうな店は敷居が高い(汗)。

それに専門店のほとんどは、一階が展示スペース、二階がショッピングコーナーと分かれているところが多くて、治安上の理由なのか、高級感を出すためなのか、わからないけど、一階にはレジもない。
買う気のある客だけを、豊富な商品がある二階へ連れていくというシステム。
だから、ぶらりと入って気軽に物色・・・という事ができない。
日本でだって、店員にあれこれ言われるの苦手なのにサ・・・・。



↑高級店が並ぶ通り。

でもその横の通りに入ってみたら↓こんな家庭雑貨のお店も。店先にほうきがたくさん・・・



うううう~ん。
あれこれと目移りしながら、これと言った成果もないままぶらぶらと歩く。

↓街の中に唐突にエレベーターがあった。


サンタ・ジェスタのエレベーター。古めかしい・・・・。
展望台があるらしいが、そのためだけに造られたのか・・・?

ここがもっとも賑わっていた通り。


もっと昼近くになると、カフェのテーブルで一杯になる。

海辺に近いPraca de Comercio(商業広場?)まで出てきた。



↑商業広場にあった騎馬像。
頭の上にカモメがずーっと止まっていた・・・・そこがお気に入り?


かなり歩き回ったけど、結局、昼近くなっても何ひとつ買えなかった。

なんだかな~。
一人だと、こういう時の盛り上がりに欠ける。
変なところで頭が冷えて、「買っちゃおうかな・・・えーい、買っちゃえ!」ってことに、なかなかならないものだ。

広告を見て期待して行った店にはことごとく裏切られ(或いは休業日、また或いはつぶれていて(-_-))、だんだん気持ちが萎え、何もかもが面倒になってくる。
やる気低迷・・・(-_-)。


↑「歩き方」にも出ていた有名な缶詰屋の“跡地”・・・・
ほんの数日前から工事が始まったもよう。まるで私が来るのがわかっていたかのようだ・・・(T_T)。

ごく親しい友人にしか旅行のことは話していないので、お土産なんてべつに買っても買わなくても・・・。
ダニーに頼まれたスペイン語教材は「探したけど見つからなかった」って言えば良いし(あるいは忘れたふり)。
靴だってサ~、なにも無理して買わなくたって・・・。
どうせ一晩のことだし、ダサダサの日本人観光客の一人くらい、何とも思われないダロ~よ。

ふんゲェ~~。だる~い。
どっかでおやつ食べてホテル帰って昼寝でもすっかな~
・・・ってところまでテンションが下がり切った、その時だった!

足の下で何かやわらかいものが、ふにゃリとつぶれ、次の瞬間、靴底がツルンッと!!??

・・・・・・・・・・ウン○ 踏みましたからぁぁぁぁぁぁぁ《T∇T》ρ
             ホヤホヤのやわらかいヤツ。
       アハハ・アハハハハハ・・ハハハハ・・ハ・・・・ハ

お散歩中のワンちゃん、たくさん居たのヨ。
↓しかも野良のくせに着衣の犬をよく見かけた。誰が着せた?






この件で背中を押され、結局靴を買いました。

犬ウン○付きの靴でファドを聴きに行くなんて、さすがの私にもはばかられ・・・・・(=_=)


以前から欲しかった乗馬靴風ブーツ。

これを買ったことで拍車がかかり、この後どんどんお買い物が進むのであった・・・。
この続きは次回。
2005/12/08

三日目・まだまだ遊べるのだ!


閉館時間ぎりぎりまでねばって国立古美術館を出た時には、すっかり日が暮れかかっていた。
上の写真は、美術館の出口から見えていた風景。

遠くに見えているのがPonte 25 de Abril(4月25日の橋)。
テージョ川の河口をまたぐ橋で、交通量が多かった。
1966年に完成したそうだが、4月25日に造られたワケではなく、1974年のこの日にクーデターが起こり新政府ができたことを記念して、それまで独裁者サラザールの名がつけられていたこの橋の名前を4月25日橋と改名したとのこと。
けっこう新しい歴史だ。

さて、日は暮れても時間はだま6時を過ぎたばかり。
夕食には早いので、地下鉄に乗って、巨大ショッピングセンターへ繰り出すことにした。
イベリア半島最大規模といわれるCentro Comercial COROMBO(コロンボショッピングセンター)。


この写真ではさっぱりわからないと思うけど、いやはや本当にデカかったッス。

田舎者はただただオロオロと歩き回るだけで、人ごみに酔い、物の多さに酔い・・・オェ~。
歩いても歩いても全貌がつかめない。
でも、どうやらこの建物は、円形の広場を中心に放射線状に巨大廊下が幾本も伸びている、すなわち網走刑務所、あるいは北海道大学恵迪寮と同じ構造のようだった(ローカルですみません)。


観光客向けのちょっとおしゃれなお土産屋があるかな?と期待していたが、旅行者など相手にしてくれない雰囲気の、最先端ファッションや高級インテリア店ばかり。
さすがに店内の写真は撮れなかったけど、フランス製のハンドメイド・アクセサリーの店がステキだった。
硬質のビーズやガラスと、やわらかい布を組み合わせたネックレスやブローチ。
言うなればロココ調。でも新鮮!デコラティブでゴージャスなのにカワイイ。

ふくらはぎがパンパンになるくらい歩いたので、カフェで一服。


コーヒーとセットになっていた菓子(食べかけで失礼)はリンゴのペーストのミニパイで、甘さがお上品だった。

強いお買い物衝動にかられたのに、結局何も買うことが出来ず、戦い破れてムナシく退散・・・。

地下鉄を乗り継いで、とぼとぼホテルへ帰る途中、閉店後の店内にガードマンならぬガード犬が・・・。


目が合うと、嬉しそうにシッポを振っていた。
全然強そうじゃないんだけど大丈夫なのか?

この日の夜は、もう外へ出るのが面倒になり、ホテル内のレストランで、ガスパッチョ(冷たい野菜スープ)とパステイス デ バカリャウ(干タラをほぐしたものをコロッケにしてある)を食べた。
味はまあまあ・・・なのだが、バカリャウ料理は昔ブラジルで美味しいのを食べたことがあるので、それと比べると、正直ちょっとものたりないかなぁ。
それに、やっぱり日本人は魚料理にウルサイのデス・・・。

スープの量が多くてお腹いっぱいになってしまい、料理を全部食べるのが辛かった。
料理を残すと、ウエイターに「気に入らなかったのか?」と必ず聞かれる(しかも怒ったような口調で)。
こういう時、どう答えれば良いのか迷うところだ。
一応「美味しかったよ。でも私には多すぎたのサ」と答えておいた。

そんなことで、三日目が終了。
充実した一日だったけど、さすがに疲れた~~~。
2005/12/06

三日目・ピンチを切り抜け、美術館へ急ぐのだ!


     Hieronymus Bosch(ボッシュ 145?-1516)「聖アントニオの誘惑」
             リスボン国立古美術館所蔵

そもそも今回の旅先がなぜポルトガルだったか?と言えば、ブラジルで覚えたポルトガル語を忘れないうちに、本場のポル語に触れてみたいというユルい(?)動機だったんだけど、いろいろ調べているうちにリスボンの国立古美術館がボッシュの絵を所蔵していることを知り、これは絶対に見に行かねば!と強く思いはじめた。そして、いつしかそれがこの旅の最大の目的になっていた。
だから、何が何でも行かねばならなかったのだ~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!

さて、国立民芸博物館でトイレへ行く希望がはかなくも絶たれ、私の膀胱はかなり危機に瀕していた。
周りを見渡しても、船着き場と公園と茫漠たる海岸線で、トイレを拝借できそうな建物などまったくない。もちろん、人目につかない竹ヤブなんかもないサ(-_-)。


↑発見のモニュメント。リスボン観光名所です。
でもトイレはない(涙)。


地面のモザイクも美しい。
でもトイレはない(涙)。

困った。困った。困った。「金がない!」より困ったモンダイだゾ。

ふと見ると、道路の反対側に世界遺産ジェロニモス修道院が!
そしてその隣には、何だかわからないけど真新しい巨大な建物も。
あそこなら、きれいなトイレがあるに違いない。
が、しかし、そこへ行くには、交通量の多い4車線道路とフェンスで阻まれた線路を越えなくてはならなかった。


どうやって・・・どうやって、あそこへ行く?
見えているのに、行けない!!!
かろうじて、かすむほど遠くに陸橋が見えた。あれを渡るしかないのか・・・・・だとすれば、もうアウトだな。

道路の向こうのジェロニモス修道院を切なく眺めながら歩いていると、駐車場整理か何かをしていたヒマそうなニイちゃんが日本語で「コンニチワ」と話しかけてきた。
すまぬ!アンタに関わっている場合じゃないんだ!と思いつつ歩き過ぎると、ニイちゃんはさらにしつこく私を呼ぶ。
仕方なく振り返ると、ジェスチャーで「すぐ近くに道を渡る地下道がある」と教えてくれて、なぜかウィンクした。
お・・・・お・・・・おぶりがぁだ~~っっっっ!!(ありがとう)
ニイちゃん・・アンタ,遊び人風のやばい男に見せかけて、じつは天からの使いだったのかい?

ま、とにかく必死の思いでたどり着いたジェロニモス修道院。
見始めると長くなりそうだったので寄るつもりはなかったのだが、その隣にある真新しい巨大な建物(ショッピングセンターのようだった)だと迷い込んでしまったらトイレを探すまでに時間がかかりそうだったので、修道院のほうを選んだ。
入館料4.5ユーロ。高いっ・・・しかし、背に腹は変えられぬ。
おつりを受け取るのもそこそこに、受付のネエさんに詰め寄る。
「どんでえすたぁばにぇろ~っっっ?」(トイレはどこだ~っ)
順路を無視して、WCマークに向かって突進。

がっ、しかし!!!

トイレまであと数歩というところで、この旅行中初めて遭遇する日本人団体客が!
運悪く、ガイドの話が終わってちょうど解散するところだった。
やばい!と思って歩を早めたけど、0.数秒の差で「トイレあそこヨ!」のかけ声と共にオバチャンたちが一斉に駆け出したのだった。
瞬く間に、トイレの前に行列が・・・・。
ああ神様、絶体絶命デスっっ(ToT)!

経験済みの方も多いことだろうが、こういう時って立ち止まることができない。
歩を止めたら最後なのデス。。。。ジョロ~
だから、その行列にじっと並ぶこともできず、もはや尻に込める力も尽きて、朦朧とする意識のまま修道院の中をさまよい歩いた。
トイレは美しい中庭に面していた。


トイレの近くには、地下へ続くいかにも修道院らしい階段。


(↑手ブレ防止機能付きのはずなのにものすごくブレてます。もう手が震えてたもんで(=_=))

世界遺産に4.5ユーロも払って入ったのにもかかわらず、落ち着きなくやみくもにウロウロする私
階段の横の部屋は、荘厳な礼拝堂。
吹き抜けの高い天井、みごとな装飾と聖人たちの彫像・・・ああ、イエス様。
こんな私のためにもあなたは血を流して下さった。
膀胱は切迫しつつも、どこか諦観した心持ちで十字架の上のイエスキリストを見ると、マジで泣きそうになった・・・・でも、あなたの前でも、私、立ち止まることはできないんデス。
・・・・神のご慈悲なのか?イエス様を見上げると同時に、不思議と尿意が去っていった。
しかし、これはもっと悪い事態に至ってしまったということだ。
子供の頃なら思考停止と同時にジャ~~・・・・だろうけど、大人は簡単にそうならないんだな。
そのかわり、ようやく用を足したあとも、残尿感と鈍い腹痛そしてまたすぐ尿意が・・・という症状になってしまった。うっ、うっ・・・。

入口と出口は同じ場所なので、こんなに早く出ていくと「あ、トイレに行きたかっただけなんだな」ってバレバレで恥ずかしかったけど、国立古美術館をゆっくり見たかったのでさっさと出てきた。

修道院前のバス停でバスを待っていた老人に、私が乗るべきバスを教えてもらう。
思えば今回の旅では、道を尋ねると誰もが親切に教えてくれた。
分かり難い場所なら、方向を教えてくれるばかりでなく「ここまで行ったらもう一度誰かに尋ねなさい」と言ってくれる。本当に感謝だ。
旅行中、無数の「こんりせんさ」(ちょっとすみません)と「おぶりがーだ」(ありがとう)を言った。

しかしだね・・・まだまだ美術館までの道のりは遠かったっ!

教えてもらったバスに乗ったのは良いけど、車内の電光掲示板が故障していて次の停留所名がわからない。アナウンスもない。
運転手のそばに立てればよかったんだけど、混んでいたので後部まで押し込まれてしまった。
乗客にもちょっと聞ける雰囲気じゃなかったんだな(仕事帰りの労働者のどことなく険しい倦怠ムード)。
で、距離的にこの辺りだと見当をつけてテキトーな停留所で飛び降りてしまった。混んでるバスに乗っているのもちょっと不安だったし(安全面で)。

が、完全に迷った!

ここはどこ?



まだ迷子。


↑改装中とか取り壊している建物とかを見ると「これが自分の目的地じゃないか?」と思ってしまうのは、負のパワー絶大な私の悲しい習性。

かれこれ1時間近くさまよい歩いた末、ようやく見知った番号の市電を見つけ、見知った場所まで戻ることができた。仕切りなおして、再出発。

無事に国立古美術館に到着しました。
この正面入り口に至るまでがわかりづらすぎデス(涙)。


しかも一部改装中で、入り口が二つに分かれている。
(閉まってるかと思ってあせったじゃんかヨ~)
午後2時~6時という、それでなくても短い開館時間なのに、時はすでに午後4時。
ぬぉ~~~っっ。

時間がない!!
適当に流し見て、早くボッシュのところへ・・・と気持ちはあせるんだが、困ったことに膨大な展示物のどれもこれもが、面白すぎる!
さすがポルトガル。航海時代に収集したコレクションはすごかった。
日本も含め、その国ではすでに失われてしまったであろう素材と技術を駆使した工芸品の数々。
何を見ても釘付け!
見応えありすぎて困る。

韓国出だと思われる半伽思惟像が日本の広隆寺のそれにそっくりでビックリしたが、虫食いの修復の仕方がまるっきり西洋的で、しかもニスでピカピカにされていたのがちょっと哀れ・・・。

広い館内に観覧者は私一人。
誰もいないからこっそり写真撮っちゃおうかと思ったが、やっぱり出来なかった(小心者)。

もちろんボッシュは、わざわざ見に来た甲斐があった。
閉館時間が近づいて、私の後ろから付いてくるスタッフが通り過ぎるそばからどんどん電気を消していくのだが、そのプレッシャーを押しのけてじぃーーーーーーーっと見た。

それより、じつは絵画よりも、私を惹き付けたのは16世紀頃のポルトガルの彫像コレクション。
どれもこれも、衣装の表現や顔の表情、体のバランス・・・どことなくカワイイ。
持って帰りたかった。



本日のお買い物。


図録ばっか・・・重かったッス。
2005/12/05

三日目・美術館へ行くのだ!しかし・・・

さあ、三日目になり旅も佳境を迎えたゾ。

本日も晴天なり。
この日は博物館&美術館を中心にまわる予定。
なかなか充実した一日だったので、今回も2回に分けて記事を書きます。

公共の乗り物を自由に乗り降りできる一日乗車券を購入し、まず初めは「Museu Rafael Bordalo Pinheiro」(ハファエル・ボルダロの博物館)へ。

ホテルから地下鉄に乗って市街地とは逆方向へ向かっていく。
地下鉄カンポグランデ駅で降り、またしても動物的カンを働かせて適当に歩いていくと博物館発見。
ガイドブックには改装中と書いてあったんだけど、地下鉄の車内にポスターが貼ってあったので、再開されたことは確信していた。

「最強雨女」に加えて、行く場所がことごとく閉まっていたりつぶれていたりと、「負」のエネルギーに満ち満ちているらしい私なので、目的地に着くまでかなり不安。
ま、最近はさすがに慣れてきたので、あまり深く考えないことにしてるけどね。

とにかく、たどりついたボルダロの博物館は、つぶれてなかったし閉まってもいなかった。



ボルダロは1800年代後半に人気を博した風刺画家。


これは「大統領の首なんて人形の首をすげ替えるようなもの」っていう風刺画。
労働者に対する搾取、農場主の欺瞞や成金趣味、政治家のアホさ加減・・・解説がなくても絵を見ればこの国の歴史がよくわかる。
中学生くらいの生徒が課外授業でたくさん来ていた。

このボルダロという人は、一方では陶芸家でもあるのだ。
しかも、魚とかカエルとか何気ないアホらしいものをものすごくリアルにつくったり、ヨーロッパ的な高級そうな陶器にアホらしい装飾をするとかいうことが好きなのヨ。
絵でも陶芸でも、スノビズムをことごとく嘲弄し皮肉った作品なのサ。
じつはこっちのほうが見もの。
ちょっと笑える面白造形物なんかも、かなり私好み。
撮影禁止のようだったので、↓これは購入した絵はがきをスキャンしたもの。


ね?とってもアホらしいでしょ?
これティーポットです。
レプリカも売ってたんだけど、お金がなくて買えなかった(泣)!!
欲しかったよ~~~。

ところでこの博物館、「教師は入場無料」とのこと。
それと、改装して再オープンしてから、外国人の来場者は私が初めてらしい。

さあっ!次はこの旅の最大のクライマックスになるはずのMuseu Nacional de Arte Anteiga(国立古美術館)Museu de Arte Popular(国立民芸博物館)へ行くのだ!

・・・・と思ったところで、じつはお金が尽きていた。
ボルダロ博物館の図録と絵はがきを買うために有り金すべて使い果たしてしまったのだった。
ミュージアムショップならたいていクレジットカード使えるだろうと思っていたのに、外国人が来たことないような博物館だしな・・・。読みが甘かった。

近くで両替ができそうな銀行を探したけど見つからず、地下鉄で市の中心街まで出てみた。
けど、そこでもやっぱりなかなか見つけられず、ひたすら歩き回る。
困った、困った、困った・・・・だって1セントもないんだもの~~っ(TOT)。
昼ご飯も食べられないっスよーーーーーっ!


↑歩き回った街の広場で見たイルミネーションのクリスマスツリー。
世界最大の高さとのウワサ・・・。
夜に見てみたかった。

一時間近く歩き回って、お巡りさんを発見。
尋ねてみると、100メートルほど先に両替所があるとのこと。
英語で教えてくれたのは良いけど、ものすごく聞き取りにくい発音で困ったッス。

さて、なんとか両替を済ませ、たまたま通りかかった路面電車に飛び乗る。
古美術館はなぜか午後二時にならないと開かないそうなので、先に民芸博物館へ行っておこうと思い、ベレン地区へ向かった。
ここには、リスボン観光の要、ベレンの塔発見のモニュメント、世界遺産ジェロニモス修道院などがまとまってあるところ。
正直、塔とかモニュメントはどうでも良かったんだけど、塔の隣に民芸博物館があるので、ついでに見ておくことにした。

おっと、その前に軽いおやつ。


↑Atum(マグロ)のパイ。

ベレンの塔は16世紀初めに建てられた、船の出入りを監視する要塞。
内部には,偉い人の部屋もあれば、水牢もあったらしい。


古めかしい石の階段を昇って屋上まで行ってみた。


それほど高くはないのに、見晴らしは良い。



塔の横の広場に精巧なミニチュアがあったので、犬を載せてみたじょ(ばか?)。


こんなことをしていたら↓下のオバサンに目撃され、ちょっとはずかしい・・・。

手編みの帽子を実演販売していたオバサン。



さてさて、次は国立民芸博物館。
ベレンの塔の隣にあるはず・・・・。
ちょっとトイレに行きたい感じになってきたので、博物館を早く見つけなくちゃ。。。(汗)

お?ちょっと迷ったけど発見!

あらら、可愛らしい看板だワ。期待できそう・・・・。



・・・・(*_*)ところがっっっっ!!!




改装のため閉館中・・・・・・アハ・アハ・アハハハハハ・ハ・ハハハ。

で、でもトイレは?(・・・・・・漏れそう(・_・;)
2005/12/05

二日目・ロカ岬の奇跡なのだ!


さて、巨大超甘ケーキのお陰で昼食がいらなくなってしまったので、そのままロカ岬へ向かうことに。

ところでシントラには「Museu do brinquedo」(おもちゃ博物館)というのがあったのだが、残念ながらこの日は休館日。博物館の月曜休館というのは世界共通なのね。
町並みそのものが世界遺産になっているほどの町だから、きちんと調べれば見所満載のはずなのに、思いつきで来てしまったのでまったくリサーチ不足・・・・(涙)。

ロカ岬行きのバスに乗ると、さっきの日本人バックパッカーと再び遭遇。一緒にバスに乗り込む。
彼は駅前のランショネッチでハンバーガーのようなものを食べていたらしい。
ちょっとうらやましい・・・。

ロカ岬行きのバスは、シントラの街を抜けるといきなり細い田舎道に入り、急カーブ急勾配を猛スピードで走っていった。
運転手はおのれの運転技術に酔い、乗客は乗り物酔い。・・・ウゲッ(=_=)

30分ほどで到着したが、バスを降りたとたん待ちかねていたようにドシャーーーーッとにわか雨。
でもほんの数分でピタリと止み、次の瞬間には目を見張るような虹が・・・・・!!!




大きくて色が濃い!!
崖下の海面から立ち上がり、反対側の山の上まで、ぐるんとアーチを描き根元までくっきり見えている。

その場にいた中国人夫婦、イギリス人らしきバックパッカー2人連れ、そして私(日本人バックパッカーはお土産屋に入っていたため出遅れ)は、お互いの腕や肩をたたき合いながら、それぞれ自国の言葉で感動を伝えあった。
同じバスに乗り合わせながら、それまでよそよそしかった各国の旅行者たちが、虹の下に一瞬で心をひとつにし、共に美しいものを享受する。もう人種や言語なんて関係なかった。
虹が消えないうちに、ジェスチャーでお互いのカメラを預かり、大慌てで写真を撮りあった。

↓中国人のオジサンに撮ってもらった写真がコレ


画面に塔の全体と虹が入るように苦労してくれた。
塔の根元には「ここはヨーロッパの最果て」と刻まれている。

「ロカ岬?あんなところ行ったって淋しいだけだよ」という話も聞いていたけど、神様はちゃんとプレゼントを用意してくれていた。
価値のある時間だったと思う。
せっかくなので、水平線を眺めながら、その向こうを目指して船出した古人たちに思いを馳せてみたりした。

そういえば、感動のあまり「ここに地終わり海始まる」の碑を撮影するのを忘れたなぁ。

犬も行ったじょ!わん!!



日本人バックパッカーが「最西端へ来た証明書」をもらうというので、私も真似してみた。
5ユーロで、名前と日付入りの証明書を発行してくれる。


↑雨に濡れてヨレヨレ・・・。

ロカ岬から、シントラへは戻らず、バスでカスカイスという海辺の町へ向かった。
またしてもバス酔いしながら・・・ウゲッ(=_=)。
ここはリゾート地とのことだけど、シーズンオフだからなのか観光客よりは地元の買い物客のほうが目につく。



あちらこちらの通りにクリスマスの装飾が。






道ばたで焼き栗を買って食べ歩き。


↑青い傘の下の屋台で買った。
製造方法を想像・・・殻の上から塩水を掛け、炭火で焼く?
かすかな塩味で美味しかった。

カスカイス駅から鉄道でリスボンへ戻り、朝とは別の駅に着いたので地下鉄を乗り継いでホテルへ。
地下鉄ホームの壁にはポルトガル名物アズレージョ(青色で絵付けしたタイル)が。


「不思議の国のアリス」に出てくる懐中時計を持ったウサギの絵。
乗客もみんなウサギみたいに急がしそうだった・・・。

ホテルに一度戻り、その夜はフロントで教えて貰った近所の地元料理レストランで夕食。

ソーパデグラォン(豆のスープ)と海産物たっぷりのパエーリャを食べた。
パエーリャの中身・・・タラ・海老(大・小)・アサリ・そしてカニカマ(オイッ!(-_-;)
パンと一緒に出てきたイワシのペーストが美味しかった。

本当はウインドウに並んでいたカニを食べたかったけど、呼び名がわからず・・・。
ブラジルでは「カランゲージョ」と言って木槌で叩き割りながら食べるんだけど、「カランゲージョ」と頼んでみても通じなかった。
それにスープだけでもお腹いっぱいになってしまったので断念・・・・。