4月8日がクレジットの二回目の引き落とし日と聞いていたが、本当に8日以降まったく電話が鳴らない。
つまり、ゴミ屋敷叔父からの金の無心の電話であるよ。
今回引き落としが出来なければ、カード会社から電話が来るはず。
今持っているカードは、祖母の生存中に作ったもの。
祖母の年金が結構高額で、充分な収入が確保されていたために作れたカードだ。
今はその収入が半減している。
その事実がカード会社に知られれば、資格不十分でカードは剥奪される・・・はず。
カードが使えなくなれば、現状の生活スタイルを保つのは困難になり、いよいよリバースモゲージか、もしくは家を売って生活保護を受けるか、真剣に検討せねばなるまい。
今日はこやなぎ名人氏の記事にトラックバックさせていただいた。
キレる老人・・・
なんだか、ごみ屋敷叔父を彷彿する。
子供が大人になる時の、戸惑い、焦燥、不安、そしてそこはかとない寂寥感。
それに似たものが、老人に移行する時期にもあるのだと感じる。
若く輝かしい時間が過ぎ、体力が少しづつ衰えて、イヤでも「もう若くはないんだ」と自覚する。
ふと気が付くと、容姿も変化している。
あれ~?
まだまだやらなくちゃイケナイことはたくさんあるのに。
まだ全然人生を謳歌していないのに。
何一つ満足したことなんてないのに。
何一つやり遂げたことなどないのに。
ずっと「これからだ!」って思いながら来たのに。
あれ~こんなはずじゃなかったのに。
子供の頃から病弱(と思い込まされ)で、遊ぶことも勉強することも出来なかった。
時代が悪い、環境が悪い、タイミングが悪い、世間が悪い、相手が悪い・・・・すべての不遇は外的要因によるもので、自分は何も悪くない。
だから、きっといつか良いことがある。
ずっとそう思ってきた。
自分たちに不幸をもたらし続けた邪魔な兄が死に、これからは安心して大好きなママを独り占めして幸せに暮らせる・・・と思った矢先に、ママが病気になった。
必死の看病で、やりたいことも出来ず、外出もままならず、いろんなことを我慢した。
そして、ママが死んだ。
悲しいけど、重荷がなくなり、これから本当の自分の人生が始まる。
「今までよくガンバってきたね、これから自由に幸せに暮らしなさい」と祝福されて、本当の人生は始まるはずだった。
・・・ところが。
「お前はもう老人なんだ」と言われ、金も稼げず、借りられもせず、「老人らしく大人しくしていろ」と人生の大通りから追い出される。
手元にあるのは、市バスの高齢者無料乗車券のみ・・・。
まるで、お腹を空かせて行ったレストランで、メインディッシュを食べる前に「閉店の時間です」って言われちゃったみたいだ。
チクショーッ!暴れてやる~!!
「ここのハンバーグはネコ肉だ!」って言いふらしてやる~!
旨そうに食べている客も、満足そうに出ていく客も、みんなみんな憎い。
え?前菜は食べたダロってか?
けっ!腹が立ってもう味なんて忘れちまったよ。
金なんて絶対払わねぇぞ。
それどころか、こっちが金貰ったってイイくらいだ。
あっ、な、なんでサイフを見る?
か、金?
いや・・だから、そのぉ・・・
ここの料理を食べるために、今までいろんな苦労して、金は使っちゃったんだもん。
文句あるのか~。
オレ様こそが、この料理を食べるに値する人間なんだぞ。
金なんか、どうでもイイだろっ。
ふん!明日からこの店に来る客にも嫌ガラセしてやるもんね~っだ!
・・・そんな気持ち。