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2007/01/28

もじ で ふぐ


久しぶりに会う友達と、門司へ行ってきた。

フグ刺し食べた。
フグ白子食べた。
フグ唐揚げ食べた。
フグちり食べた。
フグ雑炊食べた。
フグ皮の煮こごり食べた。
フグ皮の梅肉和え食べた。

・・・ゲップ。


泊まったホテルの窓。


(窓からの景色を撮影する友達A)

↓こんな景色が見えている。




翌日は対岸の下関の唐戸市場へ。







寿司食べた。
鯨ベーコン。
海老。
タラ白子。
フグ白子。
またフグ。

・・・・ゲップ。


橋のたもとで紙芝居をやっていた。
お題は「源平合戦」。



腹ごなしに、関門トンネルを歩いて門司へ戻る。

↓ここが海の底の県境。


(写っている人物は本文とは無関係ダス)


のんびりとした週末。

そして、友達も私も、明日からはまた修羅場。


・・・・ゲップ。
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2007/01/23

欲求不満


キモノ着たいなぁと思いつつ、なかなか機会がない。
あ~、試してみたいコーディネートはいろいろあるのにな~。

次に作るバッグのイメージ画を描いていると、こんなのが浮かんだ。

バカっぽ~い。
でも、面白いかもな。

こんなのを何個も作ったら、キモノ着たい衝動がすこしは緩和されるだろうか。

2007/01/22

チュニック。誰がなんと言おうとチュニック。



手がむくむ。

腱鞘炎の激痛は消えたんだが、鈍い「疼き」のようなものが内部に残っていて、少し長く作業すると違和感を感じ、その後、手首の先が全体にむくんでしまう。
そして、指先が異様に冷える。

腱鞘炎も、手のむくみも、手を使いすぎの人の症状ではあるんだけど、どうもコレ、中年以降の女性に特に多いらしい。

つまり更年期ってことだ。
何かホルモンとかと関係があるんだろうか??

どこがどう関係あるのかわからないが、とにかく病院でも言われたし、家庭の医学にも、ネットで調べた情報にも書いてあった。

しかし、まあ、とにかく、つまり・・・ここで重要なポイントは、更年期特有の症状が出ても誰にも不思議に思われないワタシ、ってことだ。

べつにいいんだけどさ。

ふん、更年期で暴れてやる。



さて、コレを治すには、しかるべき治療の後、出来るだけ手を使わないってのが一番。

で、少し作業を休んでいるんだけど、なんだかね・・・「何もしなくていい」っていうことになると、何していいんだかわかんなくてオロオロする。

何もしなくていいんだから、何もせずにいればいいんだが、何もしないでいるってことが出来ない。

何かしているときには、面倒くさくて「もう止めたい」「休みたい」って思ったり、せっぱ詰まってる時に限って下らない逃避行動に走りたがるくせに、いざ何もしなくていいコトになると、なんだか落ち着かないんだよね。

これもやはり依存症の一種なんだろうか。
ワーカホリックと言えるほどの仕事はしてないはずだけど、ダラダラと手を動かしていることを「仕事」と名付けて、他のいろいろなことを先送りする言い訳にしているってことが否応なしに明白になる。

掃除とか、洗濯とか、スペイン語の宿題とか、手紙の返事とか、贈り物のお礼とか、頼まれた用事とか、運動不足解消のための何かとか・・・・
パッと思い出しただけでも、やらなくちゃイケナイことはたくさんあるのにね。



昨夜は、「何もしないでいること」の逃避行動で、服を一枚作ってしまった。

ずっと前に買ったまま放置していた布。
ガバッと着られるブラウスを作ろうと思って買ったんだったが、すっかり忘れていた。
型紙も何もなく、目分量で裁断して目見当で縫う。

で、出来上がったのが上の写真。
ちょっとデカかった。

スモッグ・・・最近はチュニックと言うらしいね。
若い子が着ると「流行のチュニック」。
オバサンが着ると「若作りの割烹着」。

このごろ不足している「ちょっとした外出着」のつもりで作ったのに、試着してみると「ちょっとした外出着」ではあっても「ちょっとネギ買いに八百屋へ走る」って図が浮かぶ。

イヤになるほど似合う。

「アラ~奥さん、カワイイ割烹着!そんなのが似合うなんて若いわね~」と言われそう。
つまり、実際には若くないってことだ。

べつにいいんだけどさ。


ところで、私はタイピングが異様に速い(今となっては無駄な能力)。
勤め人時代は「マシンガン打ち」と言われた。
パソコンとかワープロが普及する前の旧式英文タイプライターも使っていたので、打つ力もものすごく強い。

そういうワケで、今、手の筋が吊りそうになっている。

2007/01/21

新品なんです

昨夜、ダンナが帰宅。

出かける直前まで仕事に追われ、ほとんど寝ていなかったんだが、ゴミ屋敷モンダイを済ませた後、近くにいるダンナ妹の家に泊まり、甥っ子や飼い犬と遊んで、ゆっくり寝たら疲れが取れたと言っていた。

しかし、そう言うダンナの姿は、なんだかこの数日で一気に老けたように見えた。


さて、今回の土産は、ダンナ家の近所に新しくオープンしたケーキ屋のチェリーパイ。
それを喰いながら、詳細な報告を聞く。

もはや私の興味は、ゴミ叔父のぶっ飛び言動やゴミ屋敷の笑える現状でしかないので、そこら辺を根ほり葉ほり。

司法書士の事務所で、「今後一切身内には借金の申し込みをしない」という念書にサインさせられた時、「身内なのに、わざわざこんなこと書き残しておかなくちゃイケナイものなんだろうかねぇ」とヘラヘラと笑いながら言ったとのこと。
「身内の情」をことごとく踏みにじった当の本人なんだがね。

それと、今に至ってもまだ「ダンナ君が金を送ってくれなくなったのは、ここふじさんに言われたからだ」と繰り返し言っていたそう。

もはや反論する気も失せた。

自己愛の強い叔父は、血のつながりのある人物のことは、なんだかんだと言っても悪人だとは思いたくないはず。
他人である私やダンナ母が諸悪の根元だと思っていてくれたほうが、今後なにかと便利なんじゃないかと思うので、それで良しとする。


そんなことより、笑えたのは、ゴミ屋敷の玄関に構築され、他者の進入を阻んでいる「壁」について。

昨日、ダンナが帰途につく直前に、ゴミ処理を依頼した業者から電話が入り、「やはり家の中に入ってみないことには正しい見積もりも出来ないので、なんとか玄関のゴミだけでも片づけて、中に入れるようにしたい」と言われた。

で、すぐさま叔父にその旨を伝える。

「玄関に積み上げてあるモノの中に、何か捨てたくないモノがあるなら教えて。業者さんに伝えておくから」

するとゴミ叔父、「本当は全部捨てたくないんだが、仕方なく厳選すれば・・・」と言って、挙げたもの数点。

  ・新品の炊飯器
  ・新品の布団
  ・買い物カート
  

他にもあったが、忘れた。

笑って脱力してしまうのは、じつは布団も炊飯器も、以前私たちが買ってあげたものだからなんである。

もう何年前になるのか、叔父の借金地獄が発覚した時、
「何か欲しいものがあるならウチに相談してね。本当に必要なものなら買ってあげるから。だからもうカードで買い物はしないでね」
と言ってあった。

それで、買い与えたものの1つが炊飯器。

「歯が悪くなったので、柔らかいご飯しか食べられない。だからお粥が炊ける炊飯器が欲しい」

そう言って、叔父が伝えてきたのが、何かのCMで見たらしい最新機種。
画期的な「玄米を発芽させることができる」という目玉機能付きで、健康ブームに乗って売り出されていたモノで、10万円以上もした。

健康オタクの叔父。
発芽玄米が体に良いと聞くと、ハツガゲンマイ・ハツガゲンマイと呪文のように繰り返し、その炊飯器をご神体のように崇めたいんである。

その最新特殊機能のせいで、フタが複雑な構造になっており、マメに分解掃除をしなければイケナイという話だったし、叔父がわざわざ玄米を買ってきて発芽させて食べるなんて考えられなかったんだが、後できっと「あの機種じゃないからうまくいかなかった、あれを買ってくれればこんなことにならなかったのに」と言われるのは目に見えていたので、仕方なく希望通りの機種を買ったんであった。

後日私が「発芽玄米たべてますか?めんどくさくないですか?それに、フタの掃除してますか?」と聞くと、「え?あ・・・ああ、まあ・・・」と、なんだかモゴモゴの返答。

アヤシイ・・・・あきらかにアヤシイ、とは思った。
でもまあ、炊飯器が新しくなれば今までよりご飯を炊くのは楽しくなっただろう、とりあえず食生活が少しでも改善されればヨカッタと思っていたんである。

ところが、現実は私の想像を越えて、なんと炊飯器は開封もされていなかったということだ。


それと、布団。

これは数回買っているので、どの時点のものか不明なんだが、玄関はかなり以前から洞窟状態になっていたらしいので、たしかに布団なんて巨大なものが通過できるはずはない。
これはウチで買い送ったというより、「布団を買ったので今月また金がなくなった」と言われた記憶が何回かある。
現実に布団は買っていた。嘘でなかったことは誉めてやろう。
しかし、その布団、使われるどころか、開封されることさえなく、届けられた時点で、そのまま玄関のゴミ壁の構成物になっていったのだ。


買った時には、きっと「この布団で気持ちよく眠れる。それで生活が変わる」と思ったのだろう。
その心境はとても理解できる。

何かを変えたくて、次々と新しいモノを手に入れる。
その衝動の中に「現状を変えたい」という気持ちがあるのだ。

でも、その切なる願いは、自分の家の入り口に阻まれる。
人生を変えるはずの新しいモノの進入を、ことごとく阻む魔境ゴミ屋敷。


私も、秋のバーゲンで衝動的に買った洋服が紙袋のまま玄関に放置してあったのを、つい先日発見して愕然としたもんね。
サイケデリック柄のニットワンピース。
こんなの今まで着たことはないんだが、店で買った時には「これをきっかけに自分のワードローブを一新してイメチェンをはかろう」と思った・・・ような気がする。
でもその目論みも、自宅玄関に一歩足を踏み入れたところで、あえなく消え去った。
やる気を萎えさせ、退廃させる、マイ汚部屋に満ちる空気。
あらがいながらも、その肌馴れた生ぬるい空気に包み込まれると、何度も脱出を試みながら舞い戻ってしまう阿片患者のように、汚部屋の真ん中に今までと変わらぬ姿で座ってしまう、弱い自分を知る。

ちなみに、放置していた紙袋を開け、買った服をあらためて着てみて、イメチェン計画の無謀さを思い知ったんであった。
それを阻むのは、汚部屋以上に、自分の驚異の肩幅なんであるが。



ゴミ屋敷の本格的な片づけは、今月末から始まる予定。
それに立ち会うため、ダンナは再び休みを取って、ゴミ屋敷へ赴くことになる。

2007/01/20

進化するゴミ屋敷

ダンナが、一昨日から出かけている。

いよいよゴミ屋敷陥落を目指して一気呵成に攻め込むのだ。

どおおおおおーーーーっ!(ときの声)


ここからは、ダンナからの電話による。


今回は、土地家屋の名義変更、遺産分割、そして売却、という一連の手続きを一気にするワケなんだが、まずその前に「家を売却したら、ただちにダンナに借りている金を返す」という誓約付きの正式な借用書を作るべく、公証役場へ行った。

今回の打ち合わせのためにダンナが何度か叔父に電話したんだが、そのたび留守電になっていて、さすがのダンナも「トンズラされた!?」と青くなっていた。
ナニが何でも公証役場へは行きたくない様子だった叔父なので。

それでも当日になれば、渋々ながら待ち合わせ場所に現れて一安心。

ところが、いざ公証役場で書面を見せられたら、そのあまりに物々しい文面に、叔父はパニックになったらしい。
その様子の詳細(私としてはココが知りたいところなんだが)は聞いていないが、「万が一この契約が履行されなかった場合は・・・」とかのあたりにビビッたんだろうな。
まあ、わからないでもない。

で、パニくってワケのわからないことを言って騒ぐ叔父に、公証役場の人もあせり、「騒ぐなら外へ行ってくれ。ちゃんと当人同士で話し合って、決着をつけてから出直してくれ」と怒鳴ったとのこと。

ダンナ、立つ瀬なし。

しかし、とにかく一度公証役場を出て、建物の外で叔父をなだめる。

「今頃そんなことで騒いだって仕方ないでしょ。返してくれるって信じてるし、お金を返してくれた後はもうこんな書類は破って捨てればいいんだから、何も怖いことなんてないんだよ」

「借りた金は絶対に返す」と繰り返し言っていたのは叔父本人なんだが、「絶対に返す」と紙に書いてあるのを見ると急にドキドキして心が弱るらしい。
まったく、どうしたものか。

しかし、このまま叔父の機嫌が悪化して、ゴミ屋敷売却の話まで頓挫してしまっては大変なので、ダンナは冷や汗かきながらも、極力穏やかに説得。

ダンナへの借金を返すというのは、妹たちの条件でもある。
「叔父さんがお兄ちゃんに借りたお金を返さないつもりなら、家の権利を相続しても、売却のためのサインしてやらないブー」と言っている。
今回売却できなければ、先日クレジット会社への返済のために不動産屋さんが出してくれたお金を賠償しなければならなくなる。

「そんなことになったら、不動産屋さんから訴えられるよ。そうなったらボクとのやり取りみたいにはいかないんだよ。ホントに裁判になるよ。どうするの?」

この言葉で、叔父、落ちる。

で、なんとか無事に借用書に押印。

はぁ~。



次に、ゴミ屋敷の名義変更。
これは司法書士事務所に、あらかじめ妹たちの書類も揃っていたので、すんなり終了。

そのまま、売却手続き。

事前に不動産屋さんが、「叔父様の口座に全額振り込むことに不安を感じる。たとえば、他にもどこかから借金していて、振り込んだとたんに引き落とされるとか、あるいは、振り込んだとたんに叔父様の態度が急変するとか・・・ってことになるかも」と言っていた。
そのため、売却手続きが完了したら名義人それぞれの取り分を各人の口座に不動産屋さんから直接振り込んでもらうことにしてあった。

そのため、今日一日で、ダンナの口座には、売却したゴミ屋敷の代金の4分の1と、叔父からの返済金が同時に振り込まれていることになる。

イヒヒ、ダンナが帰ってくる前にソレ持って逃亡するかな?・・・ってほどの金額でもないな。
ちっ。


これをお読みくださる数少ない皆様。

お蔭様をもちまして、長きにわたり私たちの身と心と家庭を荒廃させ、ダンナの髪の毛を減らしてきた大問題が、ほぼ決着いたしましたでございますよ。
本当に本当に、様々な貴重なご意見とご支援をありがとうございました。



さて。

とりあえず、金は返ってきた。
それはそれで良し。

しかしこの先、叔父の身内という立場であるダンナには、まだまだ難題が残っている。

そう、それは「お引越し」。


心優しい不動産屋さんの計らいで、ゴミ屋敷を明け渡すまでに一ヶ月の猶予を与えられた。
しかし、この一ヶ月の間に引越しが完了しない場合は、ダンナも連帯責任で賠償請求されることになっている。

そんなワケで、早急に業者を探し、ゴミ(叔父にとっては貴重品)を片付けるための見積もりを頼む必要があった。
今日の夕方、業者さん(便利屋さん)に現場を見にきてもらったんだが、その際、ダンナも立ち会うために久しぶりにゴミ屋敷へ。

この期に及んでもなお「見られたくないんだよな~」とモジモジする叔父を押しのけて、玄関のドアを開けるダンナと業者さん。

そして・・・・・絶句。

以前は、積み上げたゴミに洞窟の入り口のような通路があったんだが、今はその洞窟も完全に崩壊し、ドアを開けたら、いきなりそこは・・・「壁」だったそうだ。

つまり、玄関ドアでぎゅーっとゴミを圧縮している状態。

よーく見ると、ゴミ壁の頂上と天井との間にわずかな隙間があって、そこまでよじ登って出入りしているとのこと。

「ほらね・・・こんなだから人には見られたくなかったんだよ」と、羞恥というより、脱力したように言う叔父。

でも、まあ、見られるまでは「見られたら死ぬ~」って思うけど、一度見られてしまったら気持ちがラクになるものだ。もう開き直って笑うしかないしね(by汚部屋住人)。

「具合が悪いとか体が動かないとか言うわりには、あんなところ、よく登れるなあ」とダンナは感心していた。


そんなワケで、見積もりどころではなかったんだが、何人もの業者に見られるよりは、最初の業者さんに依頼することに。
まるで、トラの尾を踏んだ男。

彼の目算では「片付けるのに一週間はかかりますね~」とのこと。


さあ、ゴミ叔父、無事にゴミ屋敷脱出なるか???

2007/01/13

8個目

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2007/01/10

キモノでランチ


教室の皆さんがランチに誘ってくれたので、本日を今年のキモノ着初めにしようと思っていたんだが、まだ手が痛くて、帯が結べなかったので断念。
だから、写真にあるキモノ姿は私ではなく、生徒さんの一人。

呉服屋の福袋に入っていたキモノとのこと。
洗えるキモノと帯、帯揚げ、帯締め、長襦袢に、なんと草履までセットされていたそう。
羽織はアンティークの銘仙。
キモノに良く合っていた。
それと半襟は自作のビーズ刺繍(黒)。
足元は黄緑色の足袋ソックス。
そうそう、草履は春慶塗みたいな雰囲気の、濃いえんじ色のエナメルだった。

メガネチェーンも自作の和柄の布ヒモ。

いいな~。
いいな~。

私もキモノ着たいよ~。

でもね、じつはまだ、キモノの衣装箱が荷物に埋もれたままなのさ・・・(泣。


ランチは、知人がやっているレストランで。
家庭的な料理なんだけど、食材の組み合わせや盛りつけにアイディアを凝らしていて、美味しく楽しかった。

2007/01/10

狭窄性腱鞘炎と、めぐみ

バッグ8個目にして、大切な商売道具である私の黄金の(?!)手が動かなくなってしまったダス。

改装工事の時に重い汚物箱を何個も持ち上げて以降、左手首にずっと痛みがあったんだが、数日前から親指を動かすたびに手首に激痛が走るようになり、とうとう昨夜から親指を動かせなくなってしまった。

仕方ないので、今日は病院へ(あら、いつのまにか昨日になってしまった)。

医者に患部を触られると、思わず椅子から飛び上がって医者の尻に蹴りを入れてしまった。
それくらい痛かったんだもん。

で、告げられた病名は「ドケルバン病」。

現代医学では完治できない難病・・・・・ではなく、まあつまり腱鞘炎ダスな。

ステロイド注射をされて、とりあえず腱鞘の炎症を抑えることに。
それがまた、気絶しそうな痛さ。

しかし、麻酔によるシビレが取れたころには痛みもなくなっていて、わずかに重い感じが残る程度になった。
でも明日の昼頃までは左手をあまり動かさないように、とのことだったので、このブログも右手だけで打っているのさ。
ミスタッチが多くて時間かかるッス。



病院の後、久しぶりに映画を見た。

今話題の「めぐみ~引き裂かれた家族の30年」。

横田めぐみさんとその家族を中心に、北朝鮮拉致被害者の歳月を追ったドキュメンタリー。

日本に住んでいる人にとってはマスコミを通して連日触れている話題だけど、拉致事件の存在を知らずにいた外国の人たちなどにとって、この現実は衝撃だったことだろう。

ほとんどは既視の報道映像のつぎはぎなんだけど、その合間に、横田さん夫妻の日常の様子などが、まるで泳者の息継ぎのように挟み込まれる。

ある時は街頭のメガホンで、ある時は大講堂のステージのマイクで、ある時は国会議員を前にして、声をからして涙ながらに叫ぶご夫妻にはいつも胸打たれるが、それよりも、自宅の居間で微笑んで娘の思い出を語るお二人の姿のほうが、ずっとずっと悲しかった。

小泉元首相の訪朝の際に託したという拉致被害者たちへのビデオレターでは、横田パパが「めぐみちゃんの居ない間に日本もいろいろと変わりました。ディズニーランドも出来ましたよ」って言っていて、見たことのある映像だったけど、なんだかあらためて切なくなって泣いてしまった。

ディズニーランドがオープンした時に、「ああ、めぐみちゃんが居れば連れていってあげるのに」と思ったのだろう。
きっと、新しいモノが出来るたびに、美味しいモノを食べるたびに、きれいな花が咲くたびに、この人たちは13才のまま消えてしまった娘を思うのだ。

もし、めぐみさんが事故や病気で亡くなったのだとすれば、それはもちろん悲しい出来事ではあるけど、この30年という歳月は、思い出に浸りながら悲しみが風化してゆくのを静かに待てば良いだけの日々だったはず。

拉致を誘発させる何の要因もなかったのに、道ばたの石ころを拾うような手軽さで、めぐみさんはさらわれた。

そしてそれが、ささやかな幸せと平凡を愛し、派手なことや人前に出ることなど決して好きなほうではなかった横田さん夫妻を、日本中の誰も知らない人はいないほどの、こんなに「派手」な存在に祭り上げてしまった。
めぐみさんが消えてからの30年という歳月は、激しい嵐に打たれながら闇に向かって叫ぶような日々だった。


映画の中、拉致被害者家族の講演会か何かで、「60年前に日本もあの国に同じ事をした」と発言する女性がいた。

かつて日本人がしたことを恨み、嘆きながら叫びながら死んでいった人たちがいる。
今も叫び続ける人たちがいる。

その人たちの痛みや苦しみや悲しみは、横田さんたち被害者家族のそれと同じだ。

人はみんな、同じように痛いんです。

あの国でもこの国でも、あの時も今も、人はみんな痛いんです。
傷付ければ血が流れ、愛する人が居なくなれば悲しいんです。

あの痛みも、この痛みも、人の痛みなんです。
だからもう痛いコトしないでいようね、って言い合える日が、いつかくるんだろうか。


めぐみさん。
どんな姿になってもいいから、どうか生きていてください。

生きていてください。

生きていてください。

生きていてください。



左手の痛みは退いても、なんだか心が痛いんであった。

しかも、こんな長文を片手だけで打って、今度は右手が腱鞘炎になりそうだじょ。

2007/01/08

7個目

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2007/01/06

ハンドルコレクション

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