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2007/02/28

ションボリチーノ・フィレンツェ・デモ・レンブラント

フィレンツェに行った日は、ちょうど日曜日だった。

この前日、ドライブインのトイレでサイフを落とし、おまけに、なぜか靴のかかとが突然カパッと取れるというハプニングがあったので、なんだか気落ちしていた。

サイフは小銭以外の貴重品は入っていなかったし、靴はホテル売店のおじさんが直してくれたので、いずれもその後の旅に影響するような大事には至らなかったんだが、気分だけはすっかり「私ってダメダメ」モード。

こんな時は、集中力に欠けるせいなのか、さらなる落とし物をしたり、スリにあったりしやすいので、集中力散漫の要因になるカメラは、あえて持たずに出かけることに。

そのため、フィレンツェの写真は一枚もないのだ。


さて、神様がくれた休息日である日曜は、観光客向けの大型土産店以外はほとんどお休み。
つまり、正しいイタリア人はみんなお休みしてるってことさ。

教会はミサの最中で内部見学はできず、市内を歩いて建物外観だけを見ながら観光。
その後、旅行会社と提携する巨大免税店に押し込まれ、買え買え攻撃にさらされる。
その苦難を乗り越えて、ようやくフリータイム。

有名なドゥォーモ(S.Maria del Fior)も、ミサで内部見学は出来ず、尖塔にも登れなかった。
でも、やっぱりどこか高い所に上ってフィレンツェの町並みを眺望したいと思い、ドゥォーモの横に建つジョットー設計の大鐘楼には登れるとのことだったのでチャレンジ。

・・・と、気楽に昇り始めたんだが、日頃の怠惰と不摂生を激しく悔いる結果に。

うー、うー、うー、ヴェネツィアの大鐘楼にはエレベーターがあったのにぃ~。
ジョットーのバカ、バカァ~。
・・・はっ!私ってば何てことを!
バカじゃないデス、全然バカじゃないデス。
許して、ジョットーーーーーーーーっっっっっ!

・・・などとブツブツ口走りながら、ボロボロのヨレヨレの四つん這い状態で頂上到着。

この夜、寝てる時に足が吊ったさ。


ところで、この日はメディチ家の誰だかの命日だか誕生日だかで、それを記念してすべての美術館が入場無料とのことだった。

しかし、ラファエロやボッティチェリやダ・ヴィンチなんかを見ることのできる有名なウッフィッツィ(Uffizi)美術館は、事前予約していなければ果てなき長蛇の列に並ぶことになる。


イタリアに来たからには何か本物の絵画を見ておくべきという気持ちもないではないが、団体旅行の限られたフリータイムの中で、わざわざ忙しい思いをしてまで見に行くのはイヤ。
どうせ見るならば、それだけを目的に来て、一人でじっくりと見たいのだ。

まあしかし、せっかくタダならば・・・ってことで、比較的すいていたピッティ(Pitti)宮殿の中にある美術館に入った。


サラリと見るつもりで、何の気無しに入ってみたんだが・・・
なんと、二つ目くらいの部屋に、レ、レ、レ、レンブラントがーーーーーーっっっ!


あ・・・じつはワタクシ、中学生の頃からレンブラントに恋してますの・・・ポッ。
でもレンブラント本人に会いたいとか結婚したいとかいうのじゃなくて、純粋に彼の作品に惹かれるってことね。

でも、普通の感動とかいうものとはちょっと違う、あとで思い出しても胸がきゅーっと締め付けられるような、切なくて悲しくて、なぜか苦しいような、でもどこか懐かしくて愛しいような・・・。
なんとも説明しようのない、激しいのか穏やかなのか区別のつかない情動。

あまりにも好きすぎて、人前で素直に「私レンブラントが好き」って言えないほどなのさ。

・・・そう、まさしくそれは「恋」。

日本でレンブラント作品を見られる機会があれば、どんな遠くでもたいてい足を運ぶんだが、見に行く時には毎回少し憂鬱になる。
またあの「胸きゅー」に苦しむと思うと、もう見たくないとさえ思っちゃうのだ。
モナリザを愛しすぎて切り裂いてしまいたくなる人の気持ちが、ものすごくわかる。


そんなレンブラントに、こんなところで不意に出会ってしまったんである。

・・・ワタクシ、それっきり動けなくなったワ。



しかし、いや~、それにしてもイイモンですな~。
だって、ロープもガラスも無く、警備員も居なくて、ペロリと舐めちゃえそうなほど顔を近づけて本物のレンブラント作品を見られるんダスよ。
日本の美術館では考えられんダスな。

ほんとに、舐めちゃおうかと思ったさ。

しかしまあ、逮捕覚悟で舐めまわすというワケにもいかず、もっと見ていたいからと言ってそのまま美術館に泊めてくれるはずもなく・・・。

他にも、ラファエロなど有名画家の絵が結構あったんだが、私にとってはあまり印象的ではなく、これ以降、ほとんど何もフィレンツェの記憶が残っていない。


ただ、昼食をとったレストランが意外と良かった。
私は名物のビステッカ(巨大牛ステーキ)を食べ、友達(ベネツィアでお揃いの仮面をつけていた人物)は骨付き羊肉を食べたんだが、どちらもブォーノ!
肉の焼き加減も上手だし、塩の旨味が際だっていた。
団体客向けの食事に辟易していたので、久しぶりにゆっくり味わいながらレストランに長居した。


「革製品が名物のフィレンツェでバッグを買いたい」と宣言していた友達も、私の気分にシンクロしてしまったのか、今ひとつ買い物に熱が入らず、面白そうな店も場所もことごとく閉まってるし、何かのパレードをやっていたらしいのに見逃し、結局収穫のないまま夕方おとなしくホテルに帰る。

この日は夕食も自力で確保しなければならなかったんだが、他の人たちはサンドウィッチなど買い込んでいたのに、私たちはそれさえも出来ず・・・。

「どうも今日は調子が出ないわね~」ってことで、憂さ晴らしのために、ドレスアップしてホテル内のレストランでディナーをとることにした。


んが・・・・・不味かった。(-_-)

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2007/02/26

作られる「ガッカリ名所」



写真上:チンクエテッレ「愛の小径」
  下:ヴェローナ「ジュリエットのバルコニー」


ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマあたりはごく普通のツアーコースなんだろうが、今回のツアーには、チンクエテッレ、ヴェローナ、サンジミニャーノ、シエナ、アッシジが含まれている。

特にチンクエテッレなんて、一応世界遺産にも登録されている名所なんだが、イタリア人に聞いても「そんなところに何しに行くの?」と言われるほどマイナーな場所。

海に面した断崖に、へばりつくような(というより、こびりついているような)「チンクエ(Cinque)=5つ」の「テッレ(Terre)=土地」。
どれも小さな漁村で、交通の便が悪すぎたために開発されず、古のままの風景が残っている。

しかし、私自身が秘境生まれなもんで、こういう風景を「ステキ!」と感じるより先に、実際に生活している住民たちの不便さや閉塞感を「ああ、気の毒」と思ってしまうんだがな。

とにかく。
村から村への小道(一歩足を踏み外すと海の藻屑・・っていう断崖絶壁)を散策。
「愛の小径」と名付けられているが、由来はわからず。
隣村の恋人との逢瀬のために、モンモンな若者たちが命がけで夜な夜な通った道なのか?
ああ・・・気の毒だ。

さらに気の毒なことには、海に面した断崖の風景というものを日本人はあまりにも見馴れているため、さほど感動してあげられなかったこと。
ほとんどの人が「ここは伊豆か?」とつぶやいていた。

本当は、がっつりと装備をして、5つの村を結ぶ道を4時間以上かけてトレッキングするのが、この地を知るのに最適なやり方なのらしい。
お手軽格安ツアー専門の○○旅行社さんでは、グリーンツーリズム的発想を取り込んだ商品は扱っていないようなので、この旅行社のツアーでチンクエテッレの魅力を知ることは永遠に出来なかろう。



さて、次なる「ガッカリ名所」はヴェローナ。
(訪れた順番はバラバラ、思い出すままに書いてますデス)


「ロミオとジュリエット」のモデルとなった街で、ロミオが夜這い(!)のために上ったバルコニーが現存し、公開されている。

しかし、これがこの街の観光目玉ではあっても、決して「ロミオとジュリエット」だけが重要なワケではなく、こんな悲劇が実話として産み出された時代背景や、利権や名誉をめぐって骨肉の争いをするほどの名家が存在した土地柄の空気・・・みたいなものを感じることが、重要なんであろうと思う。

たとえロミオやジュリエットが居なかったとしても、古い家並みや石畳の小径をゆっくりと散策し、道端のカフェで一服でもすれば、少しは街の空気を味わうことが出来るだろう。

んが、格安ツアー御一行サマである私たちは、ごったがえす観光客の頭越しに、小さなバルコニーをチラッと見物してお終い。
ローマ時代から残る城塞や立派な円形劇場もあるんだが、見る時間はなし。



なんだかな~。
○○旅行社によって「ガッカリ名所inイタリア」が作られていくという感じ。

いいのか?これで?

・・・まあつまり、そう感じるのなら「団体旅行からは卒業せよ」ということだろう。

2007/02/25

ハデハデベニス




写真上:仮装して町を歩く人々(この中にここふじも紛れているのダ)
  中:いろいろな仮面の店
  下:店内で仮面を試着する観光客(この後この婦人は衣装も試着してご購入。そのまま街へ繰り出していった)



今回の旅、普通のツアーではあまり行かないような「通」向けの町が旅程に入っているせいか、「イタリアはこれで5回目ですの~」とか「あら、私は10回目よ~」とかいうベテラン旅行者が多かった。

ま、でも、旅のベテランというよりは「団体旅行のベテラン」と言うべきかな?

「添乗員にどの程度の世話をしてもらえるか?」とか「どこまでワガママを聞いてもらえるか」とかいうことに詳しく、旅行会社の商品や価格の比較研究にはものすごく長けているけど、外国語はほとんどしゃべれず、自分でチケットの手配をしたりという経験もない。
レストランでの飲み物の注文も、逐一添乗員まかせ。

でも、そのかわり、団体行動に馴れていて、集合時間はきっちり守る。勝手な行動はしない。
ある意味、旅行会社にとっては「飼い慣らされた」という感じの扱いやすい客だと思う。
実際、添乗員の言うことさえ素直に聞いていれば、安全に快適に、そこそこ楽しめるんだもんね。



でもさ、食事だけは、団体じゃないほうがイイよな~。

食事する度に感じたんだけど、レストランの人はどう思っているんだろう?

せっかく旨い料理を作る腕を持っていても、団体客向けに大量に作らなくちゃいけないから、本来の能力を発揮できないんじゃないのかなぁ。

スパゲティはうどん状態、リゾットはおじや状態で、団体で入った店の料理はどれも不味かった。
だから、ほとんどの人が料理を大量に残しちゃう。

不本意な料理を出し、食べ残される。
これって、食の国イタリアの料理人として、ものすごく屈辱的じゃないかな?

それでも「旅行客なんてこんなもん」とあきらめているだろうか。
「日本人は金を落としてくれるから」と割り切っているだろうか。



ま、それはさておいて。

とにかく、ベネツィアのカルナバ~ル。
いやはや、楽しぃーっ!

ここではほとんど自由行動だったので、ウロウロと歩き回って、面白そうな店を片っ端から覗いてみた。

お土産店でも屋台でも仮面や仮装道具が大量に売られているんだけど、本物の伝統的な「仮面職人」というのは数人しかいないらしい。

で、その職人のひとりが出している店を偶然発見。
小さな店だけど、他の店のものとはクオリティが全く違うのですぐわかる。
リアルすぎて不気味ではあるけど、とっても面白かった。
つい盛り上がって、巨大な仮面を購入。

どんな人でも、ベネチィアに30分以上滞在すれば、ムラムラと仮装したくなってしまうらしい。

みんなそれぞれに仮装しているので、私もやりたかったんだけど、残念なことに、外国人の骨格を元に作った仮面では私の顔に全く合わず、せっかく買ったのに装着するのが難しい。
仮面を顔にあてて記念撮影するのがせいぜいだったさ。

でもインパクトのある仮面なので、顔にあてていると、他の人がたくさん寄ってきて、バチバチ写真撮られちゃった。


仮装している人は、写真を撮られるのが嬉しいらしく、カメラを向けると必ずポーズを取ってくれる。
だから誰でも、カメラさえ持っていれば、旅行パンフレットに載っているような写真が撮れるってワケ。

久しぶりに、頭を空っぽにして楽しめた。
ほんと、世の中にはこんなに楽しいことがまだまだあるんだね~。

2007/02/24

イタリアへ行ったのだ


とにかく、ベニスのカーニバルを見てみたかった。

そんな思いが募った頃、某大手旅行会社の広告で「誤植じゃないの?」と疑うほど格安のツアーを発見。

ベニスの他に、フィレンツィエ、ベローナ、チンクエテッレ、サンジミニャーノ、シエナ、それにアッシジ、ローマまでもが旅程に入って、福岡→札幌を羽田で乗り継いで往復するくらいのお値段なのさ。
フリータイムが多いし、ホテルもそれほど悪そうではなかったので、何度も広告を見直し、誤植でも見間違いでもないことを確認してから、おそるおそる申し込んでみた。

どうやら、人数限定のモニターツアーだったらしい。

大学時代、芸術史の授業でジョットーのレポートを書いたことがあったので、彼の代表作があるアッシジのサンフランチェスコ教会も、いつかは行ってみたい場所だった。
団体旅行で満足できるとは思えなかったけど、まあとにかく街の雰囲気を知ることは出来るんじゃないかな?ってことで。



そんなワケで決行したイタリア周遊10日間の旅だったんだが・・・・
同行した32名のグループ中、パスポート紛失2名(うち1名はローマに居残り)。
スリ被害1名(未遂数名)。
スーツケース紛失2名
サイフ紛失1名。
靴破損1名。
・・・という波乱の旅行となった。

ちなみに、サイフ紛失と靴破損は、この私・・・σ(-_-;。

サイフは小銭しか入っていなかったので、まあヨシ。
靴はホテル売店のオジサンがアロンアルファで修理してくれてオッケー。
しかし、サイフ紛失と靴破損が同じ日の出来事だったので、その日の夜はさすがに落ち込んだけどね。

でも、なかなか楽しい出来事もあったし、団体旅行ならではの人間観察も出来た。

「忙しいって言ってたはずなのにナニやってんだ?」って突っ込まれることを覚悟で、次回からチラチラと旅行中の話など書いてみるつもりなので、コレをお読みくださる数少ない皆さま、どうぞお楽しみに。

2007/02/23

帰巣本能

どんなに遠くて長い旅でも、帰りはきちんと何も間違わずに家にたどり着く。
・・・なんだか不思議。

旅先から帰ってくると、自分の街がまるで見知らぬ場所のように感じる。
疲れで頭がボーっとしているし、今さっきまで居た場所とは何もかもが違っているし。

それなのに、バスの乗り方も停留所も間違えず、降車ボタンもタイミング良く押して、降りる時にはバスカードも出して、いくつかの角を迷わずに曲がって、団地の階段を上る前には郵便受けも開けて見て、それからバッグの底に沈み込んでいたカギをごそごそ出し、何も手惑わずに玄関を開ける。

で、玄関を開けた瞬間、催眠術から覚めたように「あれ?私・・・帰ってきちゃった?!」って思う。



そんでもって、居間の真ん中に放置されたパジャマと、敷きっぱなしの布団を見て、「ぬぁんじゃ~~っっっっ!こりゃ~~~ぁぁぁっっっっっ!!!」って叫ぶ。
(注:犯人はダンナ。私はちゃんと掃除してから出かけたもんね)

つまり、またいつもの日常が戻ってくるってワケだ。


旅の話は、またあらためて。
2007/02/13

なぜかイタリア

今日のいたりあ~の:
  Ciao!! Poco tutti di voi che lesse questo.
 ?b>L'Italia è una stagione di carn  eval  e.
  ちゃお!ぽことぅってぃでぃぽいけれっせくぇすと
  りたりあえぇうなすたじょーねでぃかるなばる

 「これをお読みくださる数少ない皆さん、コンニチハ!イタリアはカーニバルの季節です」


というわけで今日のポイントは・・・・・っちゅうか、なんでイタリア語やねん(・・と突っ込んでほしい)。


ところで、突然話は変わりますが、諸般の事情でしばらくブログをお休みします。
手ごね人ここふじ、しばらく旅に出ます。
行き先は言えません。探さないでください。



・・・・エへっ。
2007/02/06

長い散歩

(注:緒方拳のじゃないスよ。)


春のような陽気がもったいなくて、久しぶりにゆっくり散歩をした。

思えば、このところまともに陽の光を浴びていない。
人間、やはりきちんとお天道様を見ないとダメになるよな。


ダンナからゴミ屋敷の報告を聞きながら、いちいちその光景やゴミ叔父の心情を思い描いて、無意識にシンクロしてしまう自分がいる。

出かける用事もなくゴロゴロと惰眠をむさぼっていると、ふと「ゴミ叔父もきっとこんなふうにしているんだな」と思う。
それをウゲーッと嫌悪しながら、一方ではあのゴミ叔父と空間を越えて寄り添いあっている気持ちになるんである。
あの人を理解してあげたいと思いつつ、はたまた絶対に理解などしたくないと思いつつ、なぜか彼の生活を追体験してみることで、何かの答えを強引に見いだそうとしているかのよう。
もしかすると、自分自身の汚部屋生活に何か意味を見つけたいのだろうか?

ああ・・・自分が朽ちていく。

いかん!


・・・ってワケで、まるで自分自身を虫干しするかのように、陽の光を求めてお出かけ。

いつも買い物へ行く方角とは逆の方へ、目的もないままてくてくと歩いてみる。

てくてく、てくてく。
温かいので、道行く人たちもなんだか心地良さげ。

てくてく・・・民家の庭先で梅が咲いている。もう6分咲きくらい。
てくてく・・・へぇ、こんなところにケーキ屋さんがあったんだ。
てくてく・・・あ、角のコンビニがいつのまにか閉店している。おやつ買おうと思ったのにな。
てくてく・・・古いアパートの名は「アビタシオン○○」。ほほぉ、スペイン語じゃん。
てくてく・・・お?こんなところに和食屋さん。隠れ家チックだワ~。
てくてく・・・家と家の隙間の細い路地の突き当たりに空き地。いい感じの荒れ具合。

何年も住んでいるのに、こうして見ると知らない場所だらけ。
なんだか遠い見知らぬ街にいる気分だ。


そういえば・・・この「見知らぬ場所にポツンとたたずむ」という場面が、子供の頃によく見た夢に似ているんだよね。
ワケもなく淋しくて悲しくて、この夢を見た日はオネショしちゃうのさ(それが情けなくて、目が覚めてから泣く)。

痛いほど強烈に「私、ひとりなんだ」って感じて、泣きだしたいのに、空気が乾いていて涙が流れない。叫びたいのに、何を叫べばいいのかわからない。誰の名を呼べばいいのかわからない。

頭の中では「これはいつもの夢だ」ってわかっていて、はやくココから逃げ出して、別の夢へ行きたいって思っている。
別の夢へ移るための手っ取り早い方法は「夢の中で寝ること」。
人前だろうと、道路の真ん中だろうと、とにかくそこで寝転がって目を閉じれば、次の夢へ行ける。

でも、もし夢じゃかなったら?
夢じゃなかったとしたら、こんなところで寝ちゃったら大変なことになっちゃうな。
夢だとしても、ここで寝て、目を開けた時、もしまだ同じ夢が続いていたら、きっと今よりもっと悲しくなるよ。

だから、どうすれば良いのかわからずに、見知らぬ場所にただ立ちつくす。
そうしているうちに、だんだんオシッコしたくなって・・・・。


ああ、切ない。

めったにやらない事をやると、こんな思い出さなくていい事を思い出してしまうんだよな。

いかん、いかん。


それにしてもさ。
子供の頃は、夢の中でどんな孤独を感じても、目が覚めれば孤独じゃないことを知った。
いつもの部屋で、いつもの布団で、いつものように家族がいて、「ああ、夢で良かった」って思う。

でもね。
今は、夢の中よりも、現実のほうが孤独。
夢でしか会えない人のほうが多くなってしまった。


私がいなくなっても、誰かが夢に見てくれるだろうか?


ああ、いかん!
こんな精神状態になると、しばらくは自分で自分が手に負えなくて面倒なんだよね。

陽を浴びてリフレッシュを図るつもりだったのにぃ。
これじゃ、逆効果じゃんかー!



2時間半ほど歩いて疲れ果て、コンビニ前のベンチでおやつを食べて休憩。
帰りはバスに乗った。
いつのまにか、おれんじ色のまん丸な太陽が沈んでいくところ。
バスはそれに向かって走った。

私は、あと何回、こんな夕焼けを見られるんだろうか・・・


ああ、またまた。
いかん!


どうやら、夜型の生活を続けている間に「昼間」に不適合を示すようになってしまったようだ。

2007/02/04

ひとり

その人のことはいつも、パカーンと晴れた空や熱い陽射しと一緒に思い出す。

それから、ごちゃごちゃした外国の市場や、ゲテっぽい食べ物を出す店の汚れたテーブル、知らない名前のお酒、デミタスコーヒー、長い髪、長い指、学術用語の長い単語、色っぽい声。



面白い体験をたくさんさせてくれた恩人で、友人でもあった人が、つい先日亡くなっていたことを知った。

彼女は日本と海外の数カ所に家を持っていて、夫と共に、世界をまたにかけて仕事をしていた。
夫婦揃ってアグレッシブな仕事振りで有名だったが、二人が会うのは年に数回程度。
それでも、夫婦揃って携わっているプロジェクトがたくさんあって、仕事でもプライベートでも、とにかく友人の多い人だった。

亡くなったのは海外のアパート。

あんなにいつも人に囲まれていたのに、部屋の中でたった一人で倒れ、数日発見されなかったのだという。
管理人が腐臭に気づいて、彼女の友人に連絡し、遺体を発見した。


どこへ行く時にも、山猫みたいに巨大で無愛想な猫を連れていた。
日本のとある雪国で拾われたその猫は、彼女と一緒にもう地球5周ぶんくらいの旅をしている。

そういえば、猫はその時どうしていたんだろう?
きっと彼女と一緒にアパートにいたはず。
何度鳴いて呼びかけても返事をしない彼女に、仕方なくじっと寄り添っていただろうか?
誰かに異変を知らせようと、必死で扉をひっかいていただろうか?

それとも、私が出会った時にすでに老猫だったから、もう死んでいるだろうか?

だとすれば、彼女のことを迎えにきただろうか?


今日、詳細を知るためにネット検索していたら、海外の新聞社のサイトで、見知った笑顔の写真を見つけた。

何かの間違いであって欲しかったのに、彼女の写真の横にあるのは、その死を伝える記事だった。




ご主人は日本での仕事のため、いつものように別々の生活だったそうだ。

最愛のパートナーの死を、何万キロも離れた場所で聞く・・・こういう暮らしぶりだからと、常々覚悟していただろうか?

涙もろいご主人が、その知らせをどんなふうに聞いたのかと思うと胸が痛い。




悲しくはない。

たぶん悲しみが来るのはまだ先だ。


今は、なぜか、何のためなのか、彼女が住んでいた部屋の様子を隅々まで思い出そうとしている。
リビングのテーブルや、椅子や、ドアノブや、キッチンの水道の蛇口や、トイレの敷物に至るまで。

でも、彼女の部屋のどこを思い出そうとしても、どうしても、最後に遊びに行った時に一緒に夕焼けを見た窓辺に戻ってしまうのだ。
無理に別の場面を思い出そうとすると、白い陽射しで窓の景色が抜け、部屋の中が翳ってしまう。

たしかその時の猫は、お気に入りの爪とぎ段ポールの上で、体をはみ出させて寝ていた。

2007/02/04

お宝ざくざく?


ダンナがゴミ屋敷から送ってきた荷物の中身。

祖母の持ち物の数々。
箱を開けた瞬間に、なんだかウルッときた。

まだ元気だった頃に、自身の手で保管したものだろう。

私が会ったのはたった一度だけだったけど、子供のように小柄な人で、ちんまり正座してこちらを見上げている姿が、まるでお行儀の良い子猫のようだった。

そんな祖母の、端切れの一枚一枚まで丁寧にたたんでいる時の、痩せて曲がった背中や小さく細い指先を想像してしまう。

手入れされた着物の数々に華美なものはなく、縞模様や地味な紬ばかり。
でも胴裏には本物の紅絹が使われている。
縞のお召しの背中には女紋が縫われていた。
それと、いかにも良家のお嬢様らしい作法の教書など。

これらは、住み慣れた都内から、後にゴミ屋敷となるあの家へ引っ越してきた時のまま、二十年ちかくの間、梱包を解かれることもなく置かれていたらしい。


ゴミ屋敷ご開帳後の叔父は、意外なことに愛しいママの形見には執着せず、それよりは、画家だった先々々代が残した巨大茶箱5個分の軸や画材を処分したくないとゴネている。

新居には入りきらない、そんなことをしていたらまたゴミ屋敷になってしまうと、ゴミ処理の業者さんや不動産屋さんが総掛かりで説得しても、「箱を床に置いて、その上で寝る」と言って聞かないのだ。


それにしても、いろいろな話を聞くうちに、どうせ老い先短いゴミ叔父が、この機会に生活を改善したからと言って、その先何を希望に生きて行けと言えば良いのだろうかと考えてしまう。

愛する母親もおらず、するべき仕事もなく、もう嫁をもらうことも(おそらく)ないだろう。
ならば、家がゴミまみれだろうと、荷物の上に寝ていようと、風呂に入らなかろうと、別に良いんじゃないのか?
人に嫌われようと、変人だと思われようと、もう好きなように生きれば良いんじゃないか?と思えてしまう。
もはや、人としての常識や尊厳、人間が長年培ってきた文化(布団で寝る、服を着替える、風呂に入るetc)など、ゴミ叔父には何の必要もないモノのような気がしてくるのだ。
浪費癖や異常な金銭欲は別としても、一体何を理由にして、この人に「ちゃんと暮らすべきだ」と言えば良いのだろう?


しかしまあ、今までは一軒家だから良かったけど、これからはマンションの一室に暮らすワケだから、周りの住人に迷惑をかけたり、トラブルになるようなことは避けなければならない。
特に不動産屋さんは、そのことを不安がっている。
友好的とまでは行かなくても、あまり変な人だと思われないようにしてほしいらしい。


さて、話をもどして・・・

ゴミ叔父は、どうやら、着物よりは絵のほうが金銭的価値があって、さらに「名家である我が家のご先祖の作品なんだから高値が付くに違いない」と儚い幻想を抱いている様子なんである。

しかし、今ならおそらく昭和初期の着物類のほうがはるかに高く売れる可能性があるように思う。
絵のほうは、金に換えようと貧乏人根性を出すよりは、ご先祖の出身地の博物館か資料館にでも寄贈したほうが、世のためになるんではなかろうか。
地元では、江戸末期から明治にかけて城や寺のふすま絵などを手がけた、ちょっと有名な日本画家だったんである。
展示物がなくて困っている田舎の公営弱小博物館なら、地元ゆかりの品で、おまけにタダであれば、何でもとりあえずは引き取ってくれるはず(元博物館勤務の私が言う)。



ところで、閑静な住宅街に不似合いな連日大騒動のゴミ片づけ作業を、近所の人がさりげなく見物に来るらしい。

ダンナは、事問いたげにこちらを眺めている数人に事情を説明し、ゴミ叔父の日頃の暮らしぶりを聞いてみた。

それによれば、祖母が元気だった頃には、ご近所の人たちとの交流が結構あったとのこと。
買い物の帰りでよく道に迷ったり、痴呆が出てからは徘徊するようになった祖母を、いつも家まで送り届けてやっていたという人が何人もいた。
介護や生活状況を心配して声をかけたが「自分でやれるからと断られた」という人も。

その祖母が亡くなったことは、近所の人もなんとなくの気配で知っていたようだが、「それ以降、住人の姿を全く見かけなくなったので気にしていた」とも言われた。

叔父は「ご近所の人はみんなヒドイ。おばあちゃんを変人みたいな目で見る」といつも言っていて、確かに、近隣住民と馴染もうとしない老親子を若干いぶかしがってはいただろうが、それ以上に二人を(変な事件が起こらないか?も含めて)心配して見守ってくれていたんじゃないのか。

他人の家への好奇心は誰にだってあるもの。
それでも、声をあげて助けを求めれば、好奇心をとりあえず封印して、善意で対応してくれようとする人は案外多い。
変なトラブルに巻き込まれるのはイヤでも、近所の老人が目の前で困っているのを見れば、普通の良識を持っていれば無視できる人のほうが少ないだろう。
大都市Y市といえども、この周辺にはまだその程度の人情が残っている。



本日四日目にして、驚異的な速度で作業はすすみ、ゴミ屋敷の内部はかなりキレイになったもよう。
そのかわり、ゴミの分別は全く出来ず、トラックに積まれたモノはすべて産廃として処理されることになる。


ご先祖の出身地の教育委員会に連絡を取ることと、良さげなタオルでも買って、ご近所に挨拶回りするようダンナに指令を出しておいた。

2007/02/03

ゴミ屋敷ご開帳

昨日から、ゴミ屋敷の片づけ作業が始まっている。

ダンナは一週間仕事を休んで、その現場に立ち合うんだが、たまに電話がかかってきて「○○が出てきたんだけど、捨てても良いと思う?」などと私に聞く。

たとえば、祖母の昔のキモノや、キモノの端切れ。
やはり祖母が読んでいたらしい昭和初期の婦人雑誌とか手芸本。

祖母は、元気な頃は手マメな人だったようで、手芸材料や手本帳がたくさん発掘される。
どんどん捨てなければまたゴミの山になってしまうんだが、発掘品の詳細を聞くと、なんだか捨てるにしのびない気持ちになってしまうんだよなぁ。
・・・いかん、いかん。


叔父は、こうして実際にゴミ処理が始まってしまうと、あれだけ執着していたモノへの情熱が一気に冷めたらしく、業者の人が片っ端から捨てていく様子にも、ほとんど関心を示さないらしい。

ゴミ叔父が要らないと言っても、ダンナの判断で「残しておくべきでは?」と思ったものは宅配便でウチへ送られてくるそう。

とりあえず、私が使いそうな和布の端切れなどを段ボール3箱(!)発送したとのことで、有り難いが・・・今度はウチが本格的ゴミ屋敷になりそうな予感。



ところで、とうとう(叔父以外の)人類未踏のゴミ屋敷内部へ、業者さんとダンナが入ったワケだが・・・いや~、私もいろいろと想像をふくらませていたんだけどさ、それらの想像をはるかに越えた状態だったらしいんだな。


面白いので・・・あ、いや、貴重な記録として書き残しておくんである。

まず、叔父が寝起きしている部屋。
そこは、まるでシマリスの冬眠洞(って言っても、見たことある人がどれだけいるものか)。

つまり、体の周り360度、ぎっしりとモノで埋め尽くされていて、この数年、ゴミ叔父はそこで布団も使わずに、ゴミ山にもたれかかって寝ていらしい。

そのゴミ・・・叔父によれば「大切な資料」の内容のほとんどが、まあ、そのぉ・・・エロ本。

あ、べつに良いんだよ。
独身なんだし、現実世界で女性と親密な接触をする機会はなかったんだし、いろいろな情報を得るためには「大切な資料」と言えよう。

しかしダンナによれば、叔父が「ダンナ家代々の大切なモノがたくさんあるから整理するのが大変なんだよ~」と言うモノなど、エロ本の量に比べれば全然たいしたことはない・・・とのこと。

近所のコンビニで買って読み散らかしたものから、通販で取り寄せたらしいマニアックなものまで、ありとあらゆる本があるんだが、60年代頃のモノから保存されているので、ソノ手の風俗資料としては結構貴重かもしれん。

また、その手の雑誌類の一部を切り抜きしたり、ページごと切り取って綴じたものなども大切そうに保存されており、彼が何を基準に「この記事は要保存!」と判断しているのか・・・なんだかものすご~く、知りたくなーいっっっっ!!


風呂場も台所も、もはや到達することさえ不可能で、かろうじてトイレは使用可能だったが、なぜかドアが破壊されていた。
「トイレで転びそうになってドアが破れちゃった」と言うことだが、小柄な叔父がぶつかったくらいでそんな壊れ方するのかなぁ。
・・・わからん。

洗濯も出来ないので、服や下着はいちいち新品を買ってきて着替えていたそう。
だから、ゴミ山の内容物には大量の汚れ物が。
新居へ移ったら洗濯して再生するつもりらしいが、ゴミ袋に20袋くらいある。

もちろんメガネも大量に発掘されている。
なぜかすべてことごとく分解されているそうだ。


まだ二日目なので、先は長い。
この先、一体どんなものが出てくるのか。

とにかく、今日の時点でトラック10台分のゴミが搬出されたもよう。