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2007/07/31

目標をたてるど!

たしか去年からずっと着替えていなかったマイ・アバターに、ある人からの心温まるプレゼントが届けられていた。

その洗練された都会的センス でセレクトされたドレスとヘアを有り難く着用させていただき、心も新たになったところで、手ごね人ここふじ、この場を借りて宣言しますデス。


8月からは真面目になりますっ!!


・・・って、いきなりアヤシイし。


いえネ、先日の展示会がじつは結構プレッシャーだったもんで、終わってからの虚脱感と肉体的精神的疲労でフヌケ状態のまま、気がつくと一ヶ月近くを過ごしてしまった。

この7月は遅れていたスペイン語レッスンのために時間を使おうと思っていたので、そんなフヌケの自分を許してきたんだが、言うほど勉強してるワケでもないし、正直、ただの非生産的引きこもり中年女と化していたんである。

しかし、気がつくと次の展示会も迫っているし、やるべき仕事は目一杯溜まっている。
それに8月はいろいろイベントもあるので、計画性を持って効率よく動かないと、また破綻してしまいそうな予感。

そんなワケで、そろそろ自分にエンジンをかける必要が。


とりあえず、今後のタイムスケジュールと行動計画を書いてみる。



 月日       作業計画            その他の予定

8月1日      材料準備            スペイン語レッスン
2日~7日     注文品2件 顔造形開始
8日                         スペイン語レッスン
9日                         演劇鑑賞 検便
10日                         健康診断
11日~20日     注文品 ボディ制作
20日~24日     夏休み
25日~31日     注文品 完成

9月1日      展示会用作品 顔造形開始
10日        ボディ制作開始
~15日       1体目完成
~20日       2体目完成
~30日       3体目完成

10月1日~5日   4体目完成
6日~9日     出発準備
10日~15日     展示会
       
 

書いてはみたが、書く意味があるのかないのか、よくわからんスケジュール・・・。

でも、これだけでも結構ジリジリとした焦燥感を覚えるゾ。


まあ、とにかく次回展示会は10月10日なので10月5日をタイムリミットとし、最低4体のモノを仕上げるのが目標。
それとは別に注文品を2体。これは次回の展示会に展示させてもらうことにしているので、出品数は6点となる。
旧作も4点持っていく予定なので、全部で10点。

合同展示会なので、スペース的には、まあこんなもんで良いだろう。



ところで、最大の山場が早くも8月9日~10日にやってくる。

「9日:演劇鑑賞」「10日:健康診断」と、大きなイベントが2日続いている。
つまり健康診断の前日は、演劇鑑賞しつつ、夜9時以降絶食を忘れないよう心がけなければならない。
公演の最中にオヤツ食べないよう気をつけなければ。

それよりも重大なのが、前日までに検便2日分を確保しなくちゃいけないってことだ。
日頃からベンピーな私、ウ○コしなくちゃって思えば思うほど出なくなっちゃうんである。
こんな状態で2日分ものウ○コ採取するなんて、もはや試練と呼べるほどの難題。
病院に聞いたら「毎日排便がない人は、何日か前のモノを冷凍しておいても良いです」とのこと。
しかし、冷凍と言っても検査に使えるのは最長で10日程度の保存期間のモノということなので、つまり、検診10日前から当日までに2回ウ○コをしなくてはならないワケだ。

作業計画より、ウ○コ計画を立てねばならん。

うーん、うーん、うーん・・・・

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2007/07/28

夏の夜の恐怖

暑いです。

いや~ホント、暑いです。
あと数日も経てば、体が暑さに馴れてくるんでしょうか。

しかし、年々順応能力や対応能力が衰えてゆくのを感じるんです。
季節の移ろいに、心も頭も体も追いついていけない。

まるで、ビリーズ・ブートキャンプで、すべての動作にワンテンポづつ遅れ、とうとう何が何だかわからなくなってしまう内山信二のようです。

やがて、そんな鈍い自分にも馴れてしまい、何も感じなくなる日が来るんでしょうか。


・・・そんなことを想いふける今日この頃。


ようやく少しづつ家の中が夏仕様になってきた我が家なんだが、昨日からは冷蔵庫の中に冷茶とハニーレモンと氷が登場。

冷たい飲み物を飲む習慣があまり無いので、自分ちに氷を常備するのは盛夏の時期だけ。

しかし「製氷器に水を入れると夏だなあと感じる」なんて風流なものではなく、ある日あまりの暑さに耐えきれず体が勝手にフリーザーを開けてしまうという症状が出て、何かにとり憑かれたようにぬぉーーーーっと叫びながら氷を作る。
で、製氷器をフリーザーに入れ扉を閉めた瞬間に、ふっと我に返って「・・・あ、夏だったんだ」と実感するんである。

つまり、それまでは、どんなに暑くてもどんなに汗だくになっても「そんなはずはない!もう夏だなんて、そんなはずは・・・だって、ついこの間正月だったのに」とか思っているワケなんである。



さて、そんなワケで、どうやら本格的な夏がやってきたらしい。

夏だと認識したとたん、今度は体の求めに関係なく、とにかく夏らしい食べ物を食べないと気が済まないんである。

朝から冷茶を飲み続ける。
カフェオレにも氷を入れる。
フリーザーを開けたついでにアイスを出して食べる。
昼は冷しそうめん、夜は冷製パスタ。
食後にまたアイス。
寝る前に、ハニーレモン&ワインを飲みながら、なぜか落花生。

おお、これぞ夏の生活。
この、秩序も抑制もない、やりたい放題のダラしなさこそが、いかにも夏休みっぽくてヨイんである。


寝る時間になっても、暑くてなかなか寝付けない。
で、用もないのにテレビをつけ、また無意識に落花生。

読みかけの本を開いて、また落花生。


・・・・・・。


さあ、落花生を食べ過ぎると、どうなるでしょう?


普通はぷーっぷーっとなるところ。
が、私の場合は、腸にガスが充満しちゃって、激しい痛みでもだえ苦しむんである。

おまけに、暴食の上に水分と冷たいモノの過剰摂取。

暑さによる汗と冷や汗が混じって流れる感じ。
横になっても痛い。
起き上がっても痛い。
無意識にうなり声を発してしまう。

う~~~~~~~~っっっっっっっ。


ああ、コレですよ、コレ。
子供の頃からの毎夏の恒例、腹痛苦な夜。
郷愁さえ感じる。


そんなワケで、昨夜はほとんど一睡もせず。


ああ、夏だなあ~(涙。

2007/07/26

朝から事件

今日は、車を使う予定があるため、いつもマイカー通勤するダンナを職場まで送って行った。

・・・と言っても、往路を運転するのはダンナ。
職場の玄関前でダンナは車を降り、その後、私が運転席へ移る。

当然、職場の他の人たちも通勤してくる時刻。
で、当然、ノーメイクどころか、寝起きで顔も洗わず寝癖ボーボー頭の私は、絶対にダンナの職場の人とは顔を合わせたくないんである。

だから、運転席へ移動するために車外へ出る瞬間が、手に汗にぎる緊張の一瞬。

慎重に周りを見渡し、人の気配がないことを充分確認した後、寝起きとは思えない素早さでスルリッと助手席から運転席へ移動する。
そして、猛スピードでスタコラサッサと帰ってくるワケである。

見ようによっては、けっこう挙動不審。
でも、まあいいのサ。


今日はたまたま人気がなかったので、職場前で降りたダンナに「寝ぼけてるから、缶コーヒーでも飲んでから帰るかな?」と言って、玄関前の自販機でサン○リーBOSSのカフェオレを買ってきてもらった。

で、ダンナはそのまま職場の中へと消えていった。

駐車場の隅っこに止めた車の中で缶を開け一口飲んで、おもむろにエンジンキーを回したところ・・・

あれれれれ・・・・・??????

なぜか全然エンジンが掛からないんである。
計器のランプはつくのに、エンジンはウンともスンとも言わない。

ありゃりゃりゃ。
もしかして、バッテリーがあがっちゃった????
どひゃ~~~~っっっっ!

ダンナを呼びたいが、布団から起きあがったまま(に近い状態)で出てきてるので、携帯も持っていない。
だからもちろん自分ではレッカーも呼べない。

ど、ど、ど、どうするべ~~~っっっっ?????



仕方ありません・・・・。


極力気配を消し、何かの業者みたいな風を装って職場建物に忍び込み、ダンナの部屋までヌーッと入っていった。
すでに仕事を始めているダンナの背中に向かって「あのぉ、ちょっと失礼します」と身を縮めて声をかけると、それだけでダンナ、大爆笑しやがる。
私が日頃から「裸を見られるより恥ずかしい」と言う寝起き姿を自ら人前に晒すなんて余程の事、しかも、私の「余程の事」って大抵は「しょうもない事」なので、どうやら条件反射で笑ってしまうらしい。

せっかくそこまでノーマークで入り込めたのに、その爆笑で一斉にダンナ同僚たちの視線が集まってしまったサ。



で、結果は、エンジントラブルでもバッテリーでも何でもなく、単にクラッチ踏むのを忘れていただけ。


展示会の会期中、人から借りたオートマ車を毎日運転していたので、我が家のマニュアル車の扱いをすっかり忘れていた。
人間、ラクなことに馴れるのは早いもの。

しかも、展示会から帰って以降、ほとんど何もせず朦朧と日々を過ごしていて、車の運転も帰宅後初めてなんであった。


「故障じゃなくてヨカッタね」とニコニコするダンナを残し、モノも言わず憮然と発車。
キューッとタイヤを鳴らしながら、逃げ出すように帰ってきたサ。

借りていた車はワイパーとウインカーのレバーも逆だったので、曲がり角のたびにワイパー動かしては「ちっ!」と舌打ち。


たまに早起きするとロクなことがないんである。

2007/07/24

謎の巨大化現象 再び


毎度おなじみ(じゃない?)ダンナの畑の無関心栽培による作物。

一体なにがどうなっているのか、またまた今年も破天荒な作物が、ジャングルのような畑で勝手に実っている。


昨日久しぶりに畑に行くと、去年同様の巨大ズッキーニと、こちらはなぜか手のひらサイズにしか成長しないカボチャが収穫された。

そんでもって、これまた去年同様の肉詰めにした。
カボチャも別に料理するのが面倒だったので、一緒に肉詰め。
(ダンナが盛りつけたので、かたちが崩れてしまったんだが・・・。)

あ、べつに「ウリ化植物を見ると肉詰めにしたくなる病」なのではなく、大きさと形をそのまま楽しむために適した調理法だと思えることと、野菜の味に期待できない場合、肉の味でごまかせるので、我が家では結構登場頻度の高い料理となっている。

今年のズッキーニは、収穫時期が遅かったため皮が硬く、皮を外して食べなければならなかった。
カボチャのほうも、木質化しているかのように実が硬く、もしかすると観賞用?との疑いもあるんだが、よく噛みしめるとカボチャの味がほんのりしてくる。

中に入っている挽肉は、合い挽きに細かく刻んだキノコとニンニク、つなぎには麩を入れてあるので、崩れづらいのにフワフワ。
肉から非常に良いダシが出て、ほとんど野菜だけの水分の煮汁が、美味しいスープになった。


「日本マズいもの紀行」書庫に入れるかどうか、とっても難しい判断。
2007/07/22

ゆかたで映画三昧

「ゆかた割り引き」を利用して映画鑑賞。

久しぶりに、一日のほとんどを映画館の中で過ごした。
そのため、着崩れも暑さも関係なし・・・どころか、ゆかたを着ているということにさえ何の意味もない(チケット売場を過ぎてしまえば)。


ま、それはさてき。

せっかくなので、備忘をかねて映画の感想を書き記しておこうと思う。
(注:ネタバレ、ほぼなし)


「愛されるために、ここにいる」

2005年 フランス
監督:ステファヌ・ブリゼ
出演:パトリック・シェネ、アンヌ・コンシニ、ジョルジュ・ウィルソン 他

観たかったワケではないんだが、たまたま時間的に都合が良かったのでついでに観ることに。
「shall we ダンス?」(監督:周防正行)のフランス版と言ったところか?
タンゴ教室で出会った妙齢の女性に、不器用な初老男性が恋をするってお話。
お互いに意識し合っているのに、なかなか次の行動に踏み出せないでいる二人の、モンモン気分が充満した空気がとっても息苦しい。

パトリック・ジュネ扮するジャン・クロードは、仕事にも私生活にも何の楽しみのない冴えないオッサンとして描かれるんだが、実際には充分にダンディでカッコ良いので、こんなオジサマとタンゴなんて踊っちゃったら、たいていの女の子はイチコロじゃね?
役所広司が冴えない中年男性を演じることの不自然さに共通するものがあるな。
相手役のフランソワーズ(アンヌ・コンシニ)だって、もう最初からソノ気満々だったもんね。

むしろ、フランソワーズの婚約者役の男のほうが、冴えないし不器用で仕事出来なさそうだし頭頂部ハゲだし(フランスではハゲ男がモテるらしいが)腹だってメタボっぽいし、ずっとずっとカワイソウな男だ。
フランソワーズにフラれたら、おそらく絶対に次の出会いは期待できないゾ。

ちなみに、原題は「愛されるために、ここにいるわけじゃない」だったらしい。
つまり、邦題はまったく裏返しの意味になってしまっているんだね。
しかし「愛されるために、ここにいるわけじゃない」と言いながら描かれる光景の中で、誰もがみんな「愛されたい、愛したい、だからここにいる」と必死に叫んでいる・・というワケなのか?

ジャン・クロードと父親との関係にちょっとホロリ・・・



「恐怖奇形人間」
1969年 日本
監督:石井輝男
出演:吉田輝男 由美てる子 土方巽 他

ふっふっふ・・・コレですよ、コレ。本当に観たかったのは!
商店街の映画館の「愛と異形のカルト映画特集」っていう、マニア臭ぷんぷんの企画のひとつとして上映されていた。

江戸川乱歩の小説の美味しいところを取り出していろいろミックスし、知る人ぞ知る奇才石井監督が脚本&監督を手がけたもの。
このタイトルだけでも「見てはイケナイ」的好奇心をそそられて萌えちゃうんだが、石井輝男がも~ぅ「オトナが留守の間にやりたかったこと全部やっちゃうゾby小学生」的な、あるいは「公衆トイレの落書き」的なインモラル描写をてんこ盛りにして、嬉しそ~に監督している様子が目に浮かんで、なんだか微笑ましい気分にさえなってしまう。

無茶苦茶なストーリー展開はもちろんのこと、それを大まじめに演じる役者たち、当時における最高の(知らんけど)特撮技術を駆使した「人間花火」、明智小五郎の唐突すぎる登場とまったく用のない「余計なお世話」的推理、もう飽きて面倒くさくなったとしか思えないラストシーン(俳優たちもやたらと早口になるし)・・・もうツッコミどころ満載でウズウズしちゃうんだが、こんなの観たなんてことを人には絶対知られたくない映画の筆頭。

見どころは、なんと言っても土方巽&暗黒舞踏団!←もうこれだけで「何でもアリ」感がムンムンでしょ?
今では貴重となった土方の鬼気迫る演技と舞踏を保存した映像という意味では一見の価値ありかも知れん。



「新・あつい壁」
2007年 日本
監督 中山節夫
出演 趙民和 安藤一夫 左時枝 ケーシー高峯 他

ハンセン氏病に対する差別偏見を告発した問題作として当時いろいろな意味で話題になった1970年制作「あつい壁」を、同監督がリメイクした新作。
・・・と言っても、旧作は見ていない。
おそらく、「らい予防法」廃止後の今だからこそ描ける、あるいは描きたかったものが監督自身にはあったんだろうと想像するんだが、多方面に気を使いすぎ&メッセージを盛り込みすぎて、主軸がぶれてしまっている感がある。
実際、脚本の段階では何度も「横やり」が入って、大幅に修正を加えざるを得なかったそう。
ハンセン氏病元患者やその関係者の人たちがこの映画に託す想いは充分に伝わってくるんだが、「作品」としてどうなのか?ということを考えると、なんだか表現者としての監督が気の毒に思えてくる。
見ていないので何とも言えないんだが、作品としての力は、もしかしたら旧作のほうが強かったんじゃ?

藤本事件を題材にしているんだが、むしろアイレディース問題を軸にしたストーリー展開のほうが今日的な掘り下げ方になって、リメイクの必然性を感じられたんではなかろうかと思った。

それとも、やはりこの問題を正面から描くには、まだまだ「あつい壁」が立ちはだかっているということか?




「約束の旅路」
2005年 フランス
監督 ラデュ・ミヘイレアニュ
出演 ヤエル・アベカシス シラク・M・サバハ 他

いや~。もう~予告だけで泣けましたから。
こりゃ観るしかない!ってことで、四本目に突入。

舞台となるイスラエルの国情やユダヤ教・ユダヤ人めぐる歴史背景などの知識がないと意味不明な場面も多々あるんだが、それでも充分に胸に刺さってくる普遍的な主題。
それは「己を生きる」ってこと・・・なんだと思う、たぶん。

この映画は観る人が多いと思うので詳しいことは書かないけど、一人でたくさん辛い涙を流した少年シュロモン(結局もともとの本名はわからないまま)、あんな過酷で複雑な運命にさらされながら、マジメで一生懸命で賢くて性格も良くて、あんな子なら誰だって愛してしまうに違いない。

長い映画だったけど、もっともっと観ていたい気持ちになった。
2007/07/21

浴衣でいっぱい



今日は商店街の恒例イベント「ゆかた祭り」。
ゆかたを着ているだけで、商店街での買い物が割引されるなど、いろいろなサービスが受けられる。

恒例と言っても今年でまだ3年目なんだが、イベント内容は年々充実していて、今年はかき氷とポップコーンを無料でもらえたり、プロのカメラマンがゆかた姿を撮影してくれたり、そーめんをタダで食べられたり・・・と、かなり盛りだくさん。

それと、商店街の中にある映画館では、ゆかたを着てると映画料金が1000円になるとのこと。

おお。

そんなワケで、数年ぶりにゆかたを引っぱり出し、朝っぱらから汗まみれになって着たじょ。
午前中からのお出かけなので、襟付きにしてみた。


こんな楽しいイベントの最中に、わざわざ映画を観るなんて酔狂な人はあまりいないらしく、映画館は閑散・・・。
おまけに、「ゆかたで1000円」企画を映画館スタッフ自身が忘れていたらしく(「言ってみただけ」ってことか?)、いきなり正規料金を取られそうになった。

もちろん、思いっきりオバさん力を発揮して、「え?ちょっとぉ、ゆかたで来たら1000円なんでしょっ!?」って憮然と抗議したさ。


でもって、本日観た映画。

「愛されるために、ここにいる」
「恐怖奇形人間」
「新 あつい壁」
「約束の旅路」

1000円なのをイイコトに4本も観ちったもんね~。


映画についてのハナシはまた後で。



本日のコーディネート:

ゆかたは茄子紺に菖蒲の染め抜き。
帯は麻の半幅を貝の口に。
帯結びがゆるみそうだったので、帯締めをして後ろでリボン結びにしてみたじょ。
帯留はトンボ玉とアクセサリーパーツ。

2007/07/17

再発!ドケルバン病


ああ、再びこの難病と闘うことに・・・。

まあ、つまり、腱鞘炎です(左手)。



今年の1月頃に発症し、ステロイド注射で強引に治したものの、発症しやすい環境は何も変わりないので、同じ部位を同じ状況で痛め、今度は治療する時間がなかったので放っておいて悪化した。

先に治しておくべきなのは「怠惰」という名の深刻な病い。


しばらく手を休めておけば自然治癒するかと期待していたんだが、展示会が終わってダラダラした日々になっても、治るどころか、日に日に痛みが増していくので、とうとう観念して病院へ行ってきた。

しかし、なんだか強力すぎるステロイド注射をまた安易に打つのに不安を感じたので、注射以外の治療方法について相談してみたんである。

その結果、炎症を抑えるための内服薬とマッサージ用のローション、それと、痛みを予防するテーピングを薦められた。


ちなみに、「痛みを防ぐ」のと「痛みを未然に防止する」のとでは、テーピングの方法に違いがあるんだが、今日のところはまず「今現在実際に痛い部分が、少しでも痛くないように」するための方法を教わった。

ちなみに・・・

「防痛」→親指の外側の筋を伸ばさないようにテープを貼る
「予防」→親指の内側の筋を伸ばさないようにテープを貼る

正確な表現ではないかもしれないが、医者の説明を私なりの解釈で要約すると、こんな感じ。


・・・んだが、医者も、いろいろと説明しながらやっているうちに頭の中がこんがらかってしまったらしく、やたらめったらベタベタとテープを貼りまくり、気が付くと私の左手は、縦横無尽に張り巡らされた白いテープでがんじがらめにされていた。


・・・ああ、これなら絶対に痛みはしないだろうとも。
どう頑張っても、ピクリとも指は動かないからな。

・・・っていうか。
なんじゃこりゃーーーっっっ!

ミイラ男かいっっっ!!

・・・っていうか、指先が鬱血しとるやないけーーーーっっっ!



無言のまま見つめる私&看護士さんの冷たい視線の中、医者は言った。

「な、なんだか・・・戦いに行くゾ!って感じですね、アハアハアハ・・・・」

そして、「これじゃぁ、自分ではテーピングできませんね・・・アハアハアハ・・・」


はい、そうですね。

こんなテーピングを毎日やっていたら、今度は右手が腱鞘炎になりますがな。

アハアハアハ。



・・・・長い闘病になりそうです。
2007/07/13

たかが、されど、布裂

この駄ブログをご訪問くださる数少ない皆さまはすでにご承知のとおり、私は汚部屋に住んでいる。

その汚部屋を汚部屋たらしめる構成汚物のうち、約40%強が「布裂(ぬのきれ)」なんである。

「布ならアンタの商売道具なんだから仕方ないんでねか?」と優しい解釈をしてくださる人もある。

また、それらの布の多くは人からの戴きもの。
好意で下さったものを「汚物」などと呼ぶなんて失礼きわまりないんだが、その保管&管理方法に大きな問題があって、「汚物」としか呼びようのない実態に成り下がっているんである。

「捨てる」以外の手段でこの事態を改善するためには、「がんがん使う」こと以外に方法はない。
すなわち、「がんがん仕事する」ってことだ。


・・・・そういうわけで、依然「汚物」まみれのままなんである。



さて、今はこんな「汚物」まみれの私なんだが、ちょっと昔は、「欲しいモノが何ひとつ思うように手に入らない」という環境下にいた。

えっと・・・「第二次世界大戦中」とかではないです、念のため。


数年前、ちょっとワケあって、私はアマゾンに住んでいた。

・・・そう、「アマゾンの密林に謎の巨大生物を追う!!」とかの、あのアマゾンです。


本当です。

たった2年半ですが。

でも、密林の中で裸で暮らしていたワケでは(残念ながら)なく、密林を切り開いて作った町の、普通のアパートで、普通に暮らしていました。
電気も水道もあるし、スーパーもレストランもあるし、(鉄道はないが)道路も空港もありました。

そりゃアマゾンですから、道端でナマケモノを拾ったり、カメレオンとかアリクイに行く手を阻まれたり、隣の犬がヤドクガエルの毒で死んだり、水道管に3メートルの蛇が詰まっていたり、公園の川にワニがいたり、子豚くらいの大きさのネズミに庭を荒らされたり、たまのご馳走が巨大カメのバーベキューだったり、普段の焼き魚はピラルクだったりしますが、ごくごく普通の文化的生活でありました。

・・・ただひとつ違っていたのは、「日本のものが手に入らない」ということだったのです。



日本人移民も多い土地なので、彼らが苦労を重ねて作り上げた日本の野菜や日本食は豊富にある。
ラーメンやカツ丼を食べられるレストランもある。
値段は3倍くらい跳ね上がって賞味期限ギリギリだったりもするんだが、日本のメーカーのインスタント食品やスナック菓子なんかも手に入る。
3ヶ月遅れではあっても新聞や週刊誌も読める。

外国馴れしない日本人でも、危険も不便も不安もなく暮らせる快適な場所であった。


んがっ・・・んがっ・・・・私には足りなかった。

そう、それは、布。


もちろん町には布屋も手芸屋もある。
顔を覚えられるくらい、そんな店にも通い詰めたさ。

宗主国ポルトガルの文化を色濃く遺す土地なので、貴族の婦女子の趣味、刺繍やレース編みは盛んである。日本では手に入らないような種類の刺繍糸が豊富にあった。

その一方、ミシンが高級品なので洋裁を趣味にする人は少なかったんだが、ちょっとした技術を持っているだけで稼ぎになるので、低所得者層の間では洋裁技術を身につけたがる人が多かった。

そんなワケで、刺繍糸は高級ショッピングセンターに売られているが、布類は旧市街の汚水まみれの路地裏で探す。
しかも日本のようにきれいに並べられているわけではなく、床にグチャグチャに山積みにされているところから、好きなのを引っぱり出し、長さではなく重さで買うんである。

そんなことも楽しかった。


んがっ・・・・んがっ・・・・私には足りなかった。


国粋主義者でもなければ、特別に日本的なモノが好きだったわけでもないんだが、これも一種の望郷の念なのか、日本を離れているからこそ芽生える本能的な帰属意識なのか、とにかく、時々強烈に和風のものが恋しくてたまらなくなる時があるんである。

東洋的なエキゾチックは現地の人にも人気があって、デザインや食に「日本風」なものは多く出回っていた。
しかし、私が欲していたのは「日本風」ではなく、まぎれもない「日本」。
ごく普通の、あたりまえの「日本」。


日本の友達が「そっちの人に見せてやってくれ」と送ってくれた着物雑誌も、私の「日本渇望症」を助長した。
たった一冊の雑誌を、写真はもちろん、細かな解説文や広告や巻末の編集後記にいたるまで繰り返し繰り返し読み、ますます身もだえするほど「日本」が恋しくなった。
(その号の特集記事「全国各地の紬」は穴があくほど読んだので、おかげでやたらと詳しくなった)


べつに、日本に帰りたいワケではない。

アマゾンのまったりした時間の中でハンモックに揺られながら夢心地で再確認した私の「自己」が、「日本」を欲するんである。
「思う存分に手を動かして、日本の布で何か作りたーい!」と叫ぶんである。
あ、それと、もともとキモノは好きだったので、「キモノ着て遊びたーい!」とも。


日本を発つ時にお土産用に持ってきた和柄ハンカチや千代紙の残りを切り裂いて、キモノ風に組み合わせて空想のコーディネートごっこを楽しんだり、もちろん和服姿の人形も作ったさ。
人形材料は持っていかなかったので、現地で手にはいるものを工夫して作った。
(昔は粘土だけで作っていたんだが、アマゾンには粘土がなかったので布に詰め物する技法に変えた←で、現在の技法につながったワケだが)


日本から旅行や出張で来る人があれば、日本の布を買ってきてもらった。
日本の友達にも「何でも良いから布を送ってくれ~」と頼んだ。

でも、この飢餓的なまでの渇望感はなかなか伝わらず、「何でも良いから」と言っても、みんな結構選ぶのに苦労したようだ。
で、高級すぎてもったいなかったり、端切れではなく手ぬぐいとかレーヨンの友禅柄風呂敷とかを送ってくれる場合が多かった。
なにも特別なものを望んでいたわけではなく、日本で私が住んでいた家の近所で売っている端切れ1袋300円とかで良かったのに。


そんなワケで、ばっちり希望通りのモノが手に入ることは少なかったんだが、日本から来たものは、貴重で、愛しくて、ほんの数ミリの端切れになっても、捨てられなかった。
手のひらに載せて眺めているだけで嬉しかった。

日本の手芸本に載る「余り布で作る○○」なんていうのを見ると、羨ましくて仕方がなかった。

典型的な和布でなくても良かったんである。
とにかく質の良い木綿100%布というものがアマゾンには不足していたし、日本製の布は、手触りや色合いはもちろん、縫いやすく扱いやすく、あらゆる意味で良質なんである。


布・・・・布・・・・・何でも良いから布が欲し~~~いっっっっっ!


思えば、なかなか端切れが捨てられず「汚物」と化してしまう今の現状は、このときの飢餓感がトラウマになってるのかも・・・(ちょっと、こじつけ)。


帰国してもう何年も経ち、そのころのことなどすっかり忘れていたんだが、先日ある海外在住の人の「端切れが欲しい・・・」という呟きを耳にして(正確には「目にして」)、突然思い出した。

で、私の使い古した膨大な端切れの中から何か見繕って送ってあげようと思ったワケである。

「あんまり汚いのはちょっとねぇ」とか、「散々切り刻んで小さすぎるのもねぇ」とか、「外国に送るんだから少しは見栄えの良いものを」とか、最初のうちはあれこれ考えていたんだが、自分自身の当時の飢餓的渇望を思いだすと、こんなふうに熟慮してわざわざ選別したものでなくても、「ホレ、今そこにある、今アンタが捨てようとしている、その端切れが欲しいんだよ~っ」という声が聞こえてくるような気がしたんであった。

実際には、その人がどう思っておられるのかはわからない。

少なくても、当時の私の気分はそうだった。

だから、それを思い出しながら、私が「汚物」と呼ぶものの中から、汚いのも、ボロボロのも、切り刻んだ後の小さいのも、みんな詰めて送ります。
こんなものを人様に送りつけるなんて、普通なら無礼なことなんだと思う。


要らないものは捨てて下さい。


どうか、地球の裏側まで、無事に届きますように。

2007/07/12

ゴロゴロゴロゴロゴロ・・・・


今日は一日晴れの予報だったのに、先ほどから雷が鳴り始め、大慌てで洗濯物を取り込みながら、ふと見ると、こんな空です。

すごくないですか~~~っっっ?!?!

ぎゃーーーーーっ!
また雷です。
ヘソ取られるよ~。

2007/07/12

戴き物2


姑が、バッグを送ってくれた。

バースデーの贈り物というよりは、制作の参考になるのでは?とのことで、近所の手作り品ショップで購入してくれたそう。

その気持ちはとっても有り難い。
包みを開けて思わず「おお~!」と声をあげてしまったほど、感動したじょ。

写真の下のほうに写っているゴッツい手にはめているのは、一緒に入っていたちりめん細工の指輪。
かわいいス。



それとは別に・・・。

姑の住処の近所と言っても、有名観光地でもある古都なので、流行のレトロ調グッズの宝庫。

競争が激しい分、さすがに洗練されていて、「手作り」と謳ってはいても、その言葉のイメージが持つ「モッタリ感」みたいなものはほとんどない。
(とは言っても、手作り品を見慣れていない人には充分にモッタリしているように見えるんだろうけど)
刺し子糸のかすかなゆがみさえ計算されてつくしている感じ。
高度な技術力と洞察力で、正確に綿密に「ニッポンの母の素朴な手仕事」が再現されているんである。

ううーーーーむ。
上手い、上手すぎる。

ここまでやられちゃうと、なんだかもう、工業製品と変わりないような気がしちゃうんだよなぁ。

すんません。消費者ってのは身勝手なもんです。



でも、大いに勉強にはなったさ(姑の意図とは別の意味で)。


たとえば、布端の処理。

アップリケの角の部分や、内ポケットの裏に切りっぱなしの布端がチラリと見えるんだが、時間が経つうちにほつれてくるんだろうなあ・・とか。

シャープさは失われても、布端は三つ折りにするか、縫い込んで隠してしまったほうが、長年使用に耐えるだろう。

あと、持ち手の付け根はもうちょっと補強したほうが安心感があるなぁ、とか。

年間何百万人だかが訪れるという観光客の需要を満たすためには、そんな丁寧なことチマチマやってる場合じゃないんだろうが、古布あるいは古布風の手作り品の存在意味は本来「大量生産」「大量消費」「使い捨て文化」の対極にあるはずのものだろうから、たとえ値段がちょっと高くても「丈夫で長持ち」な感じをもうちょっと出してほしい(そのせいで、ちょっとダサくてモッタリしちゃったとしても)。



・・・・ああ、こんなこんなことに目が行ってしまうのは、神経質だからじゃなく、怒濤の「バッグ34連発」の後遺症・・・・


んがっ、使い手の目線でモノを作るって大切なことだじょ。

まあ、昨日今日バッグ作りを始めたヤツにこんなこと偉そうに言われたくはないだろうがな。



しかし。

世界のすみっこでこんなこと叫んでいる私だが、今回のバッグ展をやってしみじみと痛感したのは、作り手がものすごくこだわっている部分を、買う人はそれほど気にして見てはいないということ。

散々試行錯誤を繰り返してもなお「これでいいのか?」と最後まで悩み、「あとはお客さんの判断にゆだねよう」などと思ってビクビクしながら持っていったモノも、拍子抜けするほどあっけなく受け入れられてしまう。

嬉しいことではあるが、正直言って多少の物足りなさを感じてしまったんである。

「なーんだ、こんな程度でヨカッタのかぁ」と、力みすぎを自嘲しつつ、「いつか誰かが、私の苦心の工夫に気が付いてくれるかな?」と期待してみたりもする。
でも、それに気が付く前に、飽きて捨てられてしまう可能性のほうが大きいような気もするし・・・。

・・・ん?
これでは、あまりにもお客さんの目を信頼していなさすぎ?


お客さんの眼識に敬意と信頼をもって考えるならば、デザインの面白さと物珍しさだけでパッと選んだように見えても、じつは瞬時にあらゆる箇所に目を走らせて「買う価値あり」と判断してくれたとも思えるはずなんだけど・・・・。

モヤモヤモヤモヤ・・・・・・


なんだか・・・確固たる自信を持てないまま臨んじゃった展示会だったので、溜めていたストレスが一気に出て来たようで、気持ちと頭がなかなかスッキリしなくて、戴いたプレゼントの前でもこんなこと考えちゃうんである。




まあ、なにはともあれ。

おかあ様、ありがとうございます。