シリーズ「こんなの持ってました」~振袖
あちゃー。
本宅が引っ越しすることになったので、放置したままになっていた荷物が次々送られてくる。
記憶の底に干からびてこびりついたまま、なかったことにしてきたモノたち。
これは桐箪笥の中に置き去りにしてきた振袖。
その桐箪笥を人に譲ることにしたので、中身はとりあえず送ってもらって、こちらで処分を考えることにしたのです。
他にも喪服や色無地、つけさげ、総絞り小紋、リバーシブルの道行きコート、礼装帯などなどが、段ボールに詰められました。
で、振袖です。
振袖ってみなさんどうしてるんでしょう?
娘がいるワケでもないし、たとえいたとしても引き継がせたいと思えるほどのモノでもないんだよなあ。
たしか一度か二度しか袖を通していない。
「振袖などいらん、そんなの買うくらいなら金送ってくれ」って言う娘に、親がこっそり買っていたものでした。
なので、もちろん私の好みでは全くなく・・・あ、思えばこれ、ものすごくウチの母の好みだなあ。
おそらく、「ほら奥サン、こういうのは親の楽しみなんだからさぁ」とかなんとか呉服屋に言いくるめられて、なにかの妄想の元、つい買ってしまったのではないかと思う。
振袖をイヤがる娘なので、コテコテの古典柄じゃなく、こんなモダンな洋花なら受け入れるかも、とか思ったのかな。
着物や振袖がキライだったワケじゃなく、必要じゃないことに金を使うのがイヤだったのですよ。
当時は京都に住んでいたせいもあって、むしろ和風なものや伝統的なものには大いに興味を持っていました。
もし本当に真剣に自分の振袖を選ぼうと思ったなら、その頃特に惹かれていた能装束写しとか、古典的なもののほうに傾いていたんじゃないかなあ。
・・・ってまあ、わかんないや。
実際には、二十歳のころの自分がした選択なんて今になると何もかもが恥ずかしい。
成人式は大学の後期試験と重なって出席せず、冬休みにちょっとだけ帰省した時、なんかモジモジしながら父と母がこの振袖を出してきて、「借りてきたんだ」って言ったんでした。
買ったと言えば私が怒ると思ったんでしょうね。
で、とにかく着て、写真館で写真を撮って、そのあと家族で食事しました。
どうだったかなあ、ちょっとは嬉しかったんだっけかなあ。
その時の自分の気持ちは忘れてしまいましたが、食事の帰りに街でたまたま会った知り合いのオジサンが感慨深げにしてくれたことを覚えています。
それと、胴に分厚いバスタオルを巻いて補正されて、記念写真はまるで妊婦みたいだったこと。
友達とコレを見ながら話しましたが、これは私のためよりも、母が自分のために買いたかった振袖だろうから、母の棺に入れてやればよかったのかもしれません。
細面で色白の母にはきっとよく似合ったことでしょう。
せっかく買ってやった振袖をひろげて始末に困る私を見て、今ごろ歯ぎしりしてるに違いありません。
なにひとつ喜ばせてやれなかった父と母への懺悔を込めて、私が死んだら棺に入れてもらうことすればいいのかな。
あの世で会えるのかは知らないけど、もし会えるならこれを着た私をみてきっとプッとふきだして、すこし喜んでくれることでしょう。
ホントは棺に入れてもらうなら伊那紬がいいんだけどさ。
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