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2018/02/28

イヌ




ようやく仕事が一段落したので、少し遊びます。

明日から天気が荒れるという予報ですが、今日は薄曇り。



衿芯が固いせいで衿が浮いていましたが、ちょうどよい衿芯がなかったので、我慢してこのまま行きます。

柿渋紬に型染め「ふくろうの染めもの屋さん」名古屋帯。
自分で染めた帯揚げに、犬の帯留。

急に出かけることにしたので、ついつい着やすい着物に手が伸びます。
何を着ようかと迷ったり組み合わせに悩んだりした時には、たいていこの着物を選びます。
着やすくて帯合わせがしやすくて、ほとんど何も考えずに着られて便利なんですが、これを選んだ瞬間、「安易な選択」に走った敗北感は否めません。
とはいってもまぁ、着こんでいるぶん、するっと体に馴染む感覚があって心地いいです。

「いつも同じ着物じゃなくてたまにはあっちのも着なくちゃ」「こっちのもしばらく着てないなあ・・・」なんてことを思ってしまうのは、やっぱり必要以上に持ちすぎているってことなんですよねぇ・・・はぁ。

でもなかなか減らせないし、今もまだ増え続けているわけですけど(-_-)。


















帯留は、セ○ダイヤでずーっと前から眺めつづけていたもの。
悩むほどの値段でもないですが、帯留もまた増え続ける一方なので、しばらく買い控えていたのです。
が、今年の干支・戌年を記念してとうとう買いました。

ふふ、カワイイです。








焦げ茶の紬の羽織に、薄いマフラー。

フラリと結城市まで行ってきました。

いつも何か用事があってアクセクしてたり、イベントで混み合ってる時に行くことが多いので、平日の何でもない日にのんびり行ってみたかったのです。
時間をかけて思う存分資料館を見て、ランチは簡単にサンドイッチで済ませ、雛人形を飾っている結城紬の問屋さんを2、3軒まわって、雛人形を見るついでにチラチラと反物を遠目に眺め、寒くなる前に早めに帰宅。
無事に(?)衝動買いはせずに終わりましたが、昔ながらの問屋さんのお話を聞けたり、充実感のある1日でした。





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2018/02/17

小紋の羽織



またしても久しぶりすぎる着物。
今日は夕方からの外出です。




着物は無地結城。
グレーの西陣袋帯。
たたみ方が下手だったのか、締め方が下手だったのか、お太鼓に折り目が出てしまったのですが、羽織を着るのでヨシとします。

羽織。
今日の主役はコレなのです。
じつはこれ、昔着ていた小紋の着物を仕立てなおしたもの。
本日初おろしです。

実家の近所の呉服屋さんで、母が亡くなる直前に私のために注文しておいてくれたもので、亡くなって数週間後に仕立てあがって届いたのでした。
いかにも母が選びそうな色柄です。
私に言えばきっと「着物などいらん」とゴネるでしょうから、私にバレないよう、こっそり注文したらしいのでした。

職場で新年の仕事始め(だったかな?)と、従姉妹の結婚式に着ましたが、そこで脱いだままその後の手入れもせずに20年くらい仕舞いっぱなし。
ある日ふと目について、「これ、たぶんこのまま一生着ることなさそうだな」と思ったのです。
私にとっては数少ない母の形見なのに。
・・・で、そうだ!羽織に仕立て直せばいいんだ!と思いついたんでした。




結果として、良かったのか悪かったのか、それはまだわかりませんが、とりあえずこうして着られるものになったので、これからはせっせと活用しようと思います。

それより、あまりにも放置していたせで、せっかくの鬼ちりめんがすっかり縮み、黄色い小シミが無数に発生していました。
縮みは洗い張りでなんとか直してもらいましたが、シミは全部落とすとかなりの金額になってしまうので、柄だと思ってあきらめることにしました。
つまり無数のシミだらけの羽織なワケですが、まあ自分の無精のせいなので仕方ありません。

今日は面白い趣向の和食の会でした。
世界各国の様々なめずらしいチーズを、和食に取り入れた料理。
昆布の御出汁とチーズが思いがけず合うということを知ったり、目からウロコがたくさん落ちました。





追記

この羽織がまだ長着だった頃の着姿写真がありましたので載せておきます。
たしか1999年頃。
仲良しだった従姉妹の結婚披露宴で、久しぶりに会った親戚たちと散々はしゃいで大暴れした後、脱いだ着物は雑にたたんでボストンバッグに突っ込んで、そのまま2018年に至るまで封印されていたのでした。

しみじみ見ると、つくづく母好みの色柄だなあと思うとともに、これを扱っていたウチの近所の呉服屋さんのことも思い出します。
田舎町には似合わない理知的な店主夫妻で、商店街の中にありながら品の良い木枠の引き戸とその奥の広い三和土、ショーウインドウにはいつも穏やかな色合いの反物や帯が飾られていました。
当時の私は着物には何の興味もなく、子供時代の浴衣やウール着物はデパートの安売りばかり買っていたし、母も贅沢な着物をばんばん買うタイプではなかったので、それほど深いつきあいはないと思ってましたが、どうやら母はそこの奥さんと個人的に仲良くしていて、時々遊びに行ってはおしゃべりしていたらしいのです。
今にして思えば、商売人の妻でありながらガチャガチャした強引な商売が嫌いで、どこか田舎に馴染まない「お嬢様感」を持つ、同世代の女ふたりです。
友達と呼べる人もおらず、気の合う人の少ない母が心を許せる貴重な相手だったのかもしれません。

母の死後、ようやく家の中が少し落ち着いた頃、その呉服屋の奥さんがやってきて、こちらがどぎまぎするほど上品で控えめな口調でこの着物の存在を告げられた時には、思いがけないことにただ茫然とするだけで、その時の自分がどういう態度で何を言ったか全く思い出せないですが、畳紙を開けた時に、母そのもののような着物だなと感じたのを覚えています。
口車に載せられてワケのわからないまま買わされてしまったとかいうのじゃなくて、呉服屋の奥さんと頭を突き合わせて、あーだこーだ言いながら、ゴツくて風情のないオトコみたいな娘に着せるための着物を一生懸命選んだ、その様子が目に浮かびました。
そして、なのに、仕立てあがりを見ることなく逝ってしまった母に、奥さんはどんな思いを抱いただろうかと勝手に想像して、勝手に胸を痛めたものです。

とにかく、そうやって私の元へ届いた着物、タンスに眠らせずにちゃんと活用しますよ。