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2018/07/27

会津からむし紬のナゾ







さて、「会津からむし」と証紙に書かれていた着物を、意気揚々と(?)奥会津昭和村で着用したワタクシ。
しかし、産地である(と私が信じていた)その地で、この着物についてのさまざまな疑惑が沸き起こってきたのでした。


※以下は、実際に関係者から見聞きした話(うろ覚えや又聞きも含め)、あるいは自力で調べた情報、そこに勝手な想像も交えて書く内容ですので、必ずしもすべてが真実の正解とは限りませんし、調査は未だ続行中です。
あくまで個人的興味でナゾ解きに挑んでいるだけですが、事実誤認や修正すべき点などご指摘いただけましたら心よりの幸いです。



滞在した奥会津の昭和村は、日本随一のからむし(苧麻)生産地として知られる土地です。
そこで生産されたからむしは、主には新潟県へ出荷され、高級織物「越後上布」や「小千谷縮」の原料となります。
つまり、昭和村はあくまで原料の出荷地であり、そこで売り物として反物を織るということはほとんどなかったらしいのです。
やがて和服業界の衰退とともにからむしの需要も徐々に少なくなり、このままでは300年以上脈々と受け継がれてきたからむし生産の伝統が失われてしまうという危機感から、昭和村では栽培から製品化までを一貫して行う取組みが開始され、様々な試行の末、からむしの織り手を育成する「織り姫制度」も発足しました。
この伝統技術保持への懸命な取り組みが高く評価され、昨年、原料栽培から織物として完成する全工程が「奥会津昭和からむし織」として国の伝統的工芸品にも選ばれています。

昭和村の「織り姫制度」が発足したのは1994年のことで、まだほんの28年前です。
毎年数人の若者が、からむし織の技術を学ぶためにやってきて、そのうちの数人はその後定住者となり、フレッシュなアイディアとエネルギーで山間の過疎の村を活性化しています。
そんな人に数人出会いましたが、どの人も真っ直ぐで誠実そうななまなざしを持つ人たちでした。

それにしても、制度発足から今に至るまで、100人ちょっとの人が応募し採用され、そのうち30人ほどが村に定住したそうですが、一人の若者がからむし栽培から収穫、糸作り、機織りまでを、一から習って売り物として成立するものを作れるようになるまで、いったいどれくらいの時間がかかるのでしょうか。
技術を完全習得してベテランもなったとしても、手間暇と時間は膨大なものです。
織り姫さんとして修業した人が織り上げた反物は、いま普通に市場に流通しているのでしょうか。
着物好きではあってもいわゆる「汚キモナー」なので、高級呉服店に足を踏み入れる機会はほとんどなく、恥ずかしながら、よく知らないのです。

昭和村の工芸館では村の一貫生産によって仕上げられた反物が一応売られていましたが、値札には宇宙的数字(と私には思える)が書かれていました。
現地でその値段ですから、これが呉服屋さんに出回ったら、もはや宇宙を超えてブラックホールに吸い込まれちゃうほどの数字羅列になりそうです。

私も以前ちょっとした好奇心からからむしの「糸績み」の体験をしたことがありますが、その繊細すぎる作業に唖然として、もうこれは器用・不器用とか、カンの良し悪しとかの話ではなくて、ただ慣れと鍛錬のみが為し得る技なんだなあと思ったものです。
だから、そうやって1本1本丹念に作った糸を着尺分揃え、機にかけて12mもの長さに織り上げるということがどれだけ大変かというのは素人ながらも理解できるし、しかも昭和村は畑で原料を栽培するところから始まっているわけですから、それに価格をつけるときに宇宙的数字になってしまうのは納得ができるのです。


というわけで、ここからが私が持っている「からむし織」についてのナゾです。
前記事にも書いた通り、ある事情から破格の値段で譲っていただいたものですが、元の値札に書かれていたのは、そこまで宇宙的数字ではありませんでした。
うん・・・そもそも、ここがまずナゾなんですよねぇ。
つまり、本当に昭和村で正常な工程で織られたものならば、もっともーっと高いはずなのに、なんだか中途半端な値段なのです。

呉服屋の86歳の店主に、この反物はいつごろ仕入れたものなのかと聞いたところ、「新しくもないが古くもない、しかし少なくても震災前であることは確か」との答えでした。
が、いろいろと話しているうちに、その震災というのが2011年の東日本大震災なのか、それともまさか、ずっと前の関東大震災(1923年)なのか、だんだん怪しくなってゆくのです。
まさか95年も前の震災ではなかろうとは思うものの、しかし2011年にしては記憶が曖昧すぎるし。
86歳でもまだまだかくしゃくとして頭もしっかりしている人ですが、ところどころ「アレ?」と思うこともあるにはあるんです。
この店主は二代目で、先代は明治後期か大正時代に太物問屋として店を構えたそうなので、あるいは95年前に仕入れていつのまにか倉庫の奥に眠っていたという可能性もなきにしもあらずだけど、布の感じや証紙の傷み具合などを見ると、そこまで古いものとは思えません。




では、ちょっと証紙を見てみましょう。

右端の黄色い紙にはからむし織の特徴と、着たあとのお手入れなどについて書かれています。
その隣の白地のシール、右端は「純からむし紬」という文字の下に、からむしの葉っぱが描かれています。
最近では、縦糸か緯糸に大麻糸や紡績のラミー糸を使っているものもあるので、それに対して「これは100%からむしダヨ!」の意味で、わざわざ「純」と書いてあるのでしょうか。
その横は「会津からむし紬」の文字、そして「からむし引き(苧引き)」の作業をしている女性が描かれています。
その隣には、「いぢゃり織」の文字。
「いぢゃり」とは「いざり」のことで、「地機」を意味するものですね。
どこかの時代に、「いざり」という言葉がある差別用語を彷彿するという理由で使わなくなったことがあり、そのかわりに「いぢゃり」と書いていた時期があったそうです。
「いざり」という言葉を使わなかった時期がいつごろなのかがわかれば、この反物が織られた時期が判明するかもしれません。

左端には、緑色の「品質保証」のシール。ここには「からむし100%」と書かれています。



証紙の上にの赤いスタンプがふたつ押されています。しかるべき機関の検査を通っているということを示す印なのでしょう。
左のハンコには、「昭和村藤屋商店」の文字が見えます。
普通に考えると、藤屋商店というのがこの反物を取り扱っている問屋の店名でしょう。


ところが、です。
結論から先に言うと、昭和村には(少なくても現在は)藤屋商店という店は実在しないのです。

他にも、昭和村でいろいろな人に聞いた話によれば、昭和村では今、着尺を織れるほどの細い糸を作る技術はほとんどなくて、現在の織姫さんたちが盛んに織っているのは、やや太い糸を使った帯なのだそうです。
だからこそ、工芸館で見た高価格の着尺はものすごい貴重なもので、現在のところ昭和村での一貫生産と呼べるのは帯のみ、ということです。


原料は昭和村のからむしだけど、織ったのは別の場所ということも考えられますが・・・しかし、どうもこの着物を作った(売り出した?)人は、あくまでこれが一貫生産であると言い張っているのです。



これは、反物にはさまっていた紙。

会津大芦からむしの由来」と題して、手法や歴史について、やたら大仰に書かれています。
その中に、「雪深い奥会津の冬の間に一貫生産される貴重な織物であります」との一文も。

よーく読むと全体的に文章がちょっとおかしいのが気になりますが、優しい気持ちで解釈すれば、まぁ気合いが入りすぎちゃったのか?とも思えます。

ちなみに「大芦」というのは、昭和村にある地名で、昔から特にからむし栽培が盛んな地域で、ここで採れたものは最高級と言われています。

文章がおかしいといえば、証紙の右側にあるお手入れ方法の説明も、微妙に違和感のある文章で、もしかして日本語を母国語にしない人が書いたのかな?とチラリと感じたりもするのです。

からむしは、韓国や台湾でも古くから衣服の原料として栽培されていました。
糸績みや織の手法も似ているそうです。
韓国のポシャギなどに使われる薄くて涼しげな麻布も、今はどうなのか知りませんが昔はからむしで作られていたそうです。
そういうものは現代でも織られているものなのでしょうか。
織られているとすれば、あの技術で着物の反物を作れば、それはそれは素晴らしいものができると思いますが。

・・・・・・・・。

とにかく、晴天の空に浮かぶ雲がゆっくりと暗雲となって広がってゆくように、かすかに感じた違和感が、疑惑となって徐々に膨らんでゆきます。

産地への里帰りのつもりで着ていって、あわよくばこの着物を織った人、あるいは製作にかかわった人、製作にかかわった人を知っている人、などに出会えたりはしないだろうかなどと、かすかに期待もしていました。

結城紬の産地である茨城県結城市では、ときどきそんな素敵な奇跡を実際に目の当たりにすることがあるのです。
着ている本人は誰かから譲り受けたものだったり、古着として手に入れたものだったりして、由緒を知らないまま着ていても、「あら、これ○○さんがくくった絣だわ!」とか、「昔こういう柄が流行った時代があって私も織ったことあるわ」と声をかけられたりするのです。
着物好きならではと、産地ならではの、嬉しい出会い。
そういう奇跡の出会いがなかったとしても、着物を着てその産地へ出かけると、みんな目を細めて喜んでくれて、それだけでなんだか楽しい気分になるものですね。

しかし昭和村では、私が着ている着物がとりあえずからむし織であることはわかっても、それが昭和村産であると説明すると、ほとんどの人が微妙な表情になるのです。
それは以下の理由によるものらしいです。

・昭和村での一貫生産が始まったのは、わりと近年であること。
・しかも、帯がメインで、着尺はほとんど織られていないこと。
・絣の技術が昭和村では今は失われていること。(←ここも重要)
・そして何より、手績みで手織りのからむし織は、「トンボの羽のように薄い」ということを、生産者はみんな知っているのです。
私の着物は、軽くて涼しいけど、トンボの羽ほどは薄くないように思うのです。

しかし、ですよ。
もしすべて大ウソで、誰かがそれらしく似せて作った「ニセモノ」であったとして、それをわざわざ「奥会津(昭和村)からむし織」と名付けて売るでしょうか。
どうせウソなら、もっと知名度の高い「越後上布」と付けたほうが、高価な値段にできそうだし、確実に売れると思います。
奥会津や昭和村の地名を知っている人ってかなりマニアックだと思うんですよね。
たしかに伝統的工芸品の指定を受けて注目度は上がったかもしれないけど、それはつい昨年3月のことで、そこからあわてて証紙を作って貼ったりするでしょうか?
というかこれを扱っていた呉服屋では、もう何年も新しい反物を仕入れてはいないので、昨年3月よりもはるか以前から倉庫に眠っていたもののはずです。


念のために言っておくと、着物自体はとても気に入っているのですよ。
もしかすると紡績糸かな?という気もだんだんしてきましたが、麻であることは確かなので、軽いし涼しいです。
琉球風の絣もようも、柄の大きさとかバランスも私好みです。
富の象徴として着物を買っているわけでもないし、ホンモノであることを自慢したがっているわけでもなく、ただ好きなモノを好きなように着ているだけで、これがナニであろうとそんなことは関係ないのです。
呉服屋さんのおじいさんとの出会いも、とても大切に思っています。
そんなふうに、自分にとっての物語がある着物は、たとえ他の人には無価値でも私には大切なのです。

ただ、ナゾを解きたいだけなのです。
ナゾを解いてゆくと、からむしをめぐる歴史や和服業界の仕組みや、あるいは焦燥や悲哀みたいなものに迫れるような気もします。
それと、ウソを考える人たちの心理や、ウソが作られてゆく仕組みを知りたいという好奇心もあります。
産地の人のためにも真実を知りたいし、もしかすると業界の深い闇に阻まれたりするのかもしれませんが、その深淵を覗くことができるだけで充分に面白いです。
だからと言って何がどうなるワケでもないですが、一度入ってしまったヤジウマ根性のスイッチはなかなかOFFにはできません。

と、すでにもうニセモノ扱いしてしまってますが、万が一これが本当にどこかの時代にひっそりと作られていた昭和村のからむし織だとしたら、もちろんすごく嬉しいですよね。

昭和村で知り合ったからむし生産者や研究者の人に証紙を見てもらって、いろいろと調べてもらっているところです。
みんながそれぞれの立場と興味で、真実を知るために動いてくれています。
時間はかかりそうですが、いつかまた新しい事実がわかり次第このブログに記しておくつもりです。

工芸館では織り姫さんがからむし引きの実演など見せてくれますが、そこでいろいろと詳しい話を聞く時間は今回ありませんでした。
もっとつっこんだ話ができれば、案外ナゾは簡単に解けるのかもしれません。
いつかもっとゆっくりと訪れてみる必要がありますね。

というワケで、昭和村との縁はまだまだ続きそうです。

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2018/07/25

からむし織



福島県の昭和村へ行きました。

泊まった宿の部屋で、鏡もないまま着付けたので、どうなっているのか自分でもわかりませんが、とにかく着ることは着ました。
鏡の代わりにスマホで写真を撮って確認。


じつは数か月前に、この「会津からむし織」と書かれた反物を購入していました。
もう店じまいをするという古い小さな呉服屋で、倉庫に眠っていた最後の1反だというコレを見せてもらい、会津の文字を見た瞬間に即決断。
在庫処分ということで超破格の安値で譲ってもらったのです。

昭和村での仕事の日程が決まってから、大急ぎで仕立てに出し、出発の4日前に届きました。
反物を検品してもらったら、糸切れやひきつれなどがあったそうですが、そんなこと私には無問題。
まゆさん、急いで仕立てていただいてありがとうございます。



からむしに興味を抱いて、昭和村には二度ほど訪れたことがありました。

その時に見た手績み糸100%のからむし織と比べると、少し分厚くて固い感じもしますが、着てみると軽くて、なかなか涼しいです。

襦袢は、袖を引きちぎってしまった海島綿。
しばらく着ていなくて、すっかり存在を忘れていましたが、あらためて見てみると、薄くて軽くて(袖がないぶん)荷物にならないので、コレを選びました。

帯は、柿渋染めをした大麻に、ozさんに型染めをしてもらったもの。
芯を入れていないので、これも軽くて涼しいのです。
帯留は、友人のカゴ作家が、昭和村産のクルミの皮で編んだもの。







会場で撮ってもらった写真。
からむしの生産者の方がたくさんおいでになったので、見てもらいました。

産地への里帰りのつもりで着て行ったこの着物でしたが、いろいろな人のお話を聞くにつれ、じつはいろいろな疑惑が生じてきたのでした。

面白いので、後日書きます。
調査は現在も進行中なので、膨大な連載になるかも(笑)